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    <title>Report</title>
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    <title>デンマーク式サイエンスカフェ「サイエンス×想像力＝NOW」~科学技術コミュニケーションの今と未来を語ろう~ 2/2</title>
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    <published>2011-10-06T09:30:00Z</published>
    <updated>2011-11-30T06:07:45Z</updated>

    <summary>＜質疑応答＞ クリスティアン：３名のゲストスピーカーの話は、興味深いトピックを含...</summary>
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        <![CDATA[<p>＜質疑応答＞<br />
<strong>クリスティアン</strong>：３名のゲストスピーカーの話は、興味深いトピックを含んでいました。オーディエンスの皆さん、私たちを正しい方向に導くという意味でも、ここから質問を受け付けたいと思います。</p>

<p><big>・科学者とメディアのコミュニケーションギャップを埋めるには</big></p>

<p><strong>A</strong>：HS大の者です。まず一つ目は、調さんがおっしゃっていた「正しく恐れる」という話についてです。学術会議の方々を「正しくしつける」ための仕掛けを考えていかないといけないと思いますが、何か考えていることがあれば教えてください。<br />
また、科学と社会のいろいろな問題について、その問題を研究している研究者がいる中で、サイエンスカフェとして議論はできるものなのでしょうか。</p>

<p><strong>調</strong>：学術会議の方々を正しくしつけることはできません。彼らはそのように育ってきてしまったのですし、社会も甘やかしてきたのだと思います。中にはしっかりした方もいらっしゃいますが、社会全体が悪いという話なので、今から変えることは困難です。<br />
　ただ、そういうことを何とかするための仕掛けを考えている方が、会場にいらっしゃいます。W大学のT先生に答えていただきましょう。</p>

<p><strong>T</strong>：W大学のTと申します。科学とジャーナリズムについて研究しており、デンマークでもうすぐ始まるサイエンス・メディア・センターの日本における計画のリードを行っています。これは2001年からイギリスで始まった取り組みで、科学者とメディア間のコミュニケーションギャップをどうなくすかということに関して活動しています。私たちのサイトをご覧いただいても、パッと見何をしてきたか分かりにくいのですが、海外のBBCなどの問合せに対して、日本の専門家を紹介し割り振るといったことを行っていました。<br />
　ご存知のように、一人の科学者がテレビに出演するとずっとその人ばかりが出るようになり、その人ばかりが批判にさらされます。何があっても「あいつは御用学者だ」「あいつは悪いやつだ」と、その人に集中してしまい、科学者コミュニティで分散して負担することができないという問題があります。<br />
　私も事故が起きてから知ったのですが、原子力学会はチーム110という仕組みを作っていたらしいのです。つまり、10人の代表的な科学者がいざというときのメディア対応を行い、それを残りの100人が支えるという仕組みです。しかし、実際に事故が起きてしまうと大パニックになって、チーム110を知っていたジャーナリストはその10人に押しかけましたが、必ずしも学会全体でサポートしきれないという状況が生まれてしまいた。<br />
　サイエンス・メディア・センターは、他の分野でも同じようなことが起きていた中で、人の流れをコントロールし、情報の流れを正確にし、科学的な議論を促す活動を行う組織です。2001年のサイエンス・メディア・センターのもともとの発想というのは、マスメディアが凋落していく状況の中で、どのようにサイエンスの問題を社会全体で考えるか、議論の質を確保するか、という発想から始まっています。<br />
　しかし、この10年間でソーシャルネットワークサービスの発達により状況は変わってきました。今回、原子力系の方々はTwitterでなかなか発言ができなかったけれど、原子力の隣接分野の方々が、勉強していくプロセスを皆さんが見ていて、各データの意味を学習するプロセスを得ることができました。ただしそれでも、情報は末端の人たちまで行き渡った訳ではありません。情報を得たのは、 Twitterを使いこなし、Twitterを見る時間があった人達、言わば情報強者のみです。<br />
　そうしたときに、それまで行われていた議論、つまり必ずしも台本発表的な東電の発表ではない議論を、どのように社会に転写するのかが、恐らく次の10年間の問題になっていくのだと考え、いろいろな議論と仕掛けについて考えているところです。</p>

<p><strong>クリスティアン</strong>： SNSはとても大切なメディアに発達し、今までのメディアと新しいメディア、新しいコミュニケーションスタイルの土台になっています。 </p>

<p><big>・科学者同士のミーティングは、ワインを飲みながら</big></p>

<p><strong>ゲルト</strong>：2点良い質問がありました。ひとつ目は、科学者はどのようなことをサイエンスカフェで言うことができるか。デンマークと日本では違う部分もありますが、私達は自分達のカフェではまず２時間のミーティングをします。馬鹿みたいに聞こえるかもしれませんが、ワインを飲みながら話すとうまくいくのです。同じものに興味をもった者同士で、リラックスをしながら話をしていただきます。ただそれぞれ違う角度でものを見ているだけなので、リラックスして、まず人として参加して欲しいと伝えるのです。<br />
　狭いフィールドにおける世界的な研究者は、ある分野が得意であるが、ある部分では疑念を持っている。そういったことが言えるようになると、会話が非常に興味深くなっていきます。<br />
　そしてもうひとつ、サイエンスジャーナリストについての質問ですが、これは本当に大きな課題です。この分野にいる人たちは、これをうまくやりたいと思っていますが、必ずしも各ジャーナリストが科学についてのバックグラウンドを持ち合わせているわけではありません。しかし、新聞を売らなければいけないので、ストーリーを形成しなければいけませんし、特定の要素を誇張しなければいけないこともあります。時々は、本当のことよりも素晴らしい記事が書けるかもしれませんし、悪くなることもあります。</p>

<p><big>・もし「フクシマ」をテーマにサイエンスカフェを開くとしたら</big></p>

<p><strong>A</strong>：例えば、福島の原発に関するサイエンスカフェに、福島関係の人を連れてこられるならば、誰を連れてきたいですか。</p>

<p><strong>ゲルト</strong>：とても難しい質問ですが、私が福島についてのサイエンスカフェを行うとすれば、少し違う視点を持っていきたいと思います。例えば、プレスと福島の悲劇について語ったり、サイエンスジャーナリズムについて勉強されている方と、この問題がどのようにメディアから発信されたかについて語ることができればと思います。同時に、コミュニケーションの専門家を呼び、このような大惨事において、どのようなコミュニケーションを取ることが望ましいか語るということも考えられます。<br />
　惨事そのものではなく、それを取り巻く社会的な問題、社会のコンテクストを踏まえたディスカッションを提案したいと思います。</p>

<p><strong>クリスティアン</strong>：志賀さんは、科学知識に伴うリスクについてお話ししたいことはなにかありますか。</p>

<p><strong>志賀</strong>：SFの目線ではないのですが、僕は大学時代に基礎電子物性という素粒子論を研究していました。ちょうどその時代、X線レーザーや自由電子レーザーを具体的に動かすことができるかという研究がビビッドでした。物性科学の世界では、実験結果が一つ出るだけで世界が一日でかわってしまうものなので、先生は、サイエンスというのは決してコンクリートで固められた建造物ではなくて、いつでも全く違うシステムや理論が出てくる可能性があるのだと言っていました。そして、実験を間違えたとき、従来にない結果が出た時に最大のチャンスがあるのだと教えられました。<br />
　要するに科学の理論というのは「その理論が正しい中では正しいのだ」という非常にトートーロジックな世界であり、ある種の限界があるということです。工学部に行くとそれが実感としてわかるのですが、文系の人だと、割と科学は絶対だと思っています。権威のある科学者がこう言ったというと、あらゆる人が一方の議論を全く盲信してしまうという例を、最近またネットで見て驚きました。<br />
　調さんの話で一番思ったのは、科学者同士の対話が実はほとんどされていないということです。専門家のフィールド中で黙々と自説を展開するだけで、コミュニケーションがなっていないことを残念に思いますが、どうすればいいのか、何かアイディアはありますか。</p>

<p><strong>調</strong>：私は東工大で、志賀さんが指摘されたことを感じています。今や世界の先端科学として、それぞれの専門分野の境界からいい仕事が出てくることがかなりあります。それを生み出すために専門家同士が議論するチャンスがあれば良いのですが、これがないのです。イギリスのケンブリッジなどの大学だと、いろいろな分野の教員同士が一緒に晩御飯を食べていたりします。私が留学していたエジンバラだと、教員用のパブがあって、そこに行くといろいろな教員が集まって、飲みながら話をしたりするのです。<br />
　では東工大にも教員用の食堂があったとして、仮にそこに人が集まったとしたら議論は起こるでしょうか。多分起きません。我々は自分の専門分野の事をどんどん学んでいけば良いと教育されてきましたから。 <br />
　これを20年、30年計画でなんとかしなければいけないと考えていますが、その一つの鍵は 野原先生が行われている、デザインというキーワードが中心の教育や、プロジェクト・ベースド・ラーニングだと思います。加えて、一般の人の視点をどうやって入れるかということを考えると、さらにいいことになっていくのだろうと思います。</p>

<p><big>・ソーシャルネットワークの可能性</big></p>

<p><strong>B</strong>：今年はアイスランドの憲法改定にみられたように、たくさんのアイデアがあって、それをSNS等のプラットフォームに乗せて話をすることがあったと思うのですが、日本にはどのような可能性があるのでしょうか。具体的には、福島の問題を解決していくような可能性についてです。</p>

<p><strong>調</strong>：福島の問題で難しいのは、ひとつにはなかなか実名でできないということです。非常にシリアスな問題で、しかも間違えた場合にどうなるか、その人の政治的な立ち位置はどういうところにあるかがものすごく気になるし、そのことを理由に、場合によっては非難を受ける危険性があります。<br />
　もう一点言うと、ソーシャルネットワークはいいのですが、科学者同士が直接会って話をすると全然違います。これをどうするのか。直接話すと、けんかをしている者同士もかなり柔らかくお互いが理解できます。ネット会議ですとものすごくけんかが多い一方で、直接会うとだいぶ違ってくるのではないかと思います。</p>

<p><big>・対話と議論----サイエンスコミュニケーションの難しさ</big></p>

<p><strong>C</strong>：哲学で言えば、プラトンは対話で学問をつくってきましたよね。なぜそういうものを失ってしまったのでしょうか。また、冒頭の話に出てきた寺田寅彦は物理学者でありながら文学者でもあり、さらに楽器も演奏したというマルチな才能を持っていた人ですが、そのような文系でも理系でもある観点を持った人がなぜいなくなってしまったのか。そのあたりについてちょっと議論していただけますか。</p>

<p><strong>調</strong>：一つ言えることとして、対話と議論の違いがあります。日本人は議論ができないといわれますが、僕は議論ができない以上に対話ができないのではないかという気がしています。日常的な問題に関しての対話は非常に得意なのですけれども、利害の対立や非常に難しい問題になったときに、突然、対話ではなくて議論に変わってしまうところがあるのではないかと思います。<br />
　わたしは小説家であり、博士である瀬名秀明さんを存じ上げていますが、彼はある種ＳＦ的なことをやっていらっしゃいます。ああいう方がなぜ出ないのか。あるいは、ＳＦという世界には理系がバックグラウンドの作家が多いのではないかと短絡的に思うのですが。</p>

<p><strong>志賀</strong>：理系出身のＳＦ作家は結構少ないのです。クラークは完璧な理系出身のＳＦ作家で、非常に市場性もあったし、未来を的確に予測していたのですけれども、理系出身のＳＦ作家は日本でも海外でも割と少ない。いわゆる文系出身のＳＦ作家のサイエンスフィクションでは、科学は基本的に批判の対象にはなりません。要するに、彼らは科学というボートに乗っている船乗りのようなもので、ボート自体を疑うことはないというのが、これまでのサイエンスフィクションの本流です。疑おうという動きは幾つか出ているのですけれども、そのような作品は非常に少ないです。</p>

<p><big>・サイエンスカフェは「きっかけ作り」である</big></p>

<p><strong>D</strong>：わたしはサイエンスカフェの概念について懸念があります。例えば、サイエンスフィクションにおいてポップカルチャーのイメージを使うことによって、科学の概念が即効使えるものの適応というイメージにつながってしまい、論理的な面が置き去りにされてしまう傾向があるのではないかと思うのです。</p>

<p><strong>ゲルト</strong>：とてもいい質問だと思います。わたしの考えとしては、明らかにサイエンスカフェという概念には制限があると思います。例えば1.5時間しかありませんし、サイエンスや議題についてあまり知識を持っていない人と、その１時間半の間に会話をしなくてはいけないのです。ですから、とても抽象的なレベルにいるわけです。<br />
　サイエンスカフェは制限されている、有限であるというのは当然です。でもサイエンスカフェは来た人に面白い夜だったと思わせ、あらためて自分で勉強してみようという気持ちにさせます。ほかのメディアに当たって勉強してみようというきっかけ作りになります。</p>

<p><strong>志賀</strong>：サイエンスフィクションはポップカルチャーというかポピュラーカルチャーなので、ある程度多くの読者を獲得しないといけないという前提がありますが、やはり科学が非常に重要なテーマになっています。そういう意味では、今日この場所のようなサイエンスカフェの中で、サイエンスフィクションが中心的なテーマになるかどうかはともかくとして、１つの要素のテーマとして投げ込んでみると、いろいろな意味で反響が出てくると思いました。</p>

<p><strong>調</strong>：確かにサイエンスカフェにおいて、アプリケーションの方法はどうしても集中しやすいので、新たな工夫はできると思います。一例を挙げると、天文学は抽象的であまり役に立たないように見えますが、サイエンスカフェでやると非常に人気のある領域です。アマチュア天文学をやっている方はいっぱいいるし、星に対するロマンがありますから。<br />
　試しにこのサイエンスカフェで、全然アプリケーションとは関係なく、しかも面白くなさそうなテーマを持ってきてやってみればいいのではないでしょうか。案外できるのではないかと思います。</p>

<p><strong>クリスティアン</strong>：異文化交流をして日本でこのようなデンマーク式のカフェをやってみるということでしたが、とてもうまくいったと感じています。面白い質問と、それに伴う形でディスカッションができたと思いました。だからこの後も10分、15分いて、プレゼンターや隣のかたとぜひお話ししていってください。デンマーク式のカフェというのはこのように終わるのです。<br />
　野原先生、学生の方々への感謝の意を表示するために、それからスピーカーの方々、とても面白いプレゼンテーションをありがとうございました。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>デンマーク式サイエンスカフェ「サイエンス×想像力＝NOW」~科学技術コミュニケーションの今と未来を語ろう~ 1/2</title>
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    <published>2011-10-06T09:30:00Z</published>
    <updated>2011-11-30T03:44:57Z</updated>

    <summary>・デンマーク式を導入する 野原：このたび、クリスティアン・H・ニールセンさんとゲ...</summary>
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        <![CDATA[<p><big>・デンマーク式を導入する</big></p>

<p><strong>野原</strong>：このたび、クリスティアン・H・ニールセンさんとゲルト・バリングさんという二人の素晴らしいデンマークの研究者の協力を得て、初めてデンマークスタイルのカフェを実施することになりました。<br />
デンマーク式ということで、特に日本式にドメスティケートすることはしません。私たちも皆さんと一緒に、初めてのデンマークスタイルのカフェというものを楽しんでいきたいと思います。<br />
　3.11の震災から、日本人は科学について考えることを強いられています。サイエンスコミュニケーションでは、人々の科学に対する関心をどのように変えることができるか、常に挑戦しているにも関わらず、これは非常に皮肉なことです。<br />
　歴史的にサイエンスコミュニケーションが必要とされたときに、サイエンスコミュニケーションは十分になされていたのでしょうか。サイエンスコミュニケーションは不安定な社会において、何ができるのでしょうか。<br />
　不幸にも3.11の震災が起きた今、このような流れの中で、サイエンスカフェやサイエンスコミュニケーションを行うことは非常に意義があると思います。ここからは本日のモデレーターであるクリスティアン・H・ニールセンに流れを任せたいと思います。クリスティアンはデンマーク・オーフス大学科学技術社会論の研究者であり、サイエンスコミュニケーションの最前線において、2003年からデンマーク式のカフェを開催しています。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/DSCF6785r.jpg"><img alt="クリスティアン" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2011/11/DSCF6785r-thumb-300x400-203.jpg" width="300" height="400" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><strong>クリスティアン</strong>： 私はサイエンスコミュニケーションや科学者と社会の対話について関心があり、これらが研究の中心になっています。サイエンスカフェは、科学者と一般市民が対話を行える素晴らしい機会です。<br />
　本日のカフェは、デンマーク式のカフェを日本のコンテクストに導入する実験的な一面も持っています。みなさんが一緒に、この実験に参加していただけると幸いです。<br />
　サイエンスレクチャーはゲストスピーカーの話がメインで、参加者は最後の短い時間でちょっとした質問ができるのみです。<br />
　私たちはこれとは逆に、スピーカーには本当にわずかな時間だけを与えて、フリーディスカッションの時間を多く設けたいと思っています。そのため、本日私はモデレーターとして、スピーカーの皆さんには時間を制限させていただき、皆さんからたくさんのコメントや意見をいただきたいと思います。そう言った意味で、これはとてもオープンなイベントです。<br />
　本日はスピーカーとして調麻佐志さん、ゲルト・バリングさん、志賀隆生先生に話をお聞きします。</p>

<p><strong>野原</strong>：このカフェにはスタッフとして仕事をしてくれている学生がおり、彼らは参加者として議論もさせていただきます。</p>

<p><strong>アミール</strong>：東京工業大学 社会理工学研究科 人間行動システム専攻博士課程１年のアミール偉と申します。本日はサブモデレーターとして、このカフェを運営していきますので、よろしくお願いいたします。<br />
　今回のカフェでは、ゲストスピーカーが話している間でも、飲み物やお菓子を自由に取りに行ったり、隣の方と少しお話していただいたりしても構いません。皆さんリラックスして参加してください。</p>

<p><big>・「放射線を正しく恐れる」とは？</big></p>

<p><strong>調</strong>：わたしの専門は科学技術社会論といわれる領域ですが、震災以降、低線量被爆という問題を考えてみようということで、科学コミュニケーション的な活動を始めました。わたしが今日取り上げるのは、日本学術会議という団体の科学コミュニケーションがひどかったという話です。<br />
　日本学術会議は日本の科学者を代表する機関で、政府に対して助言したり、科学の振興を図るという役割を担っています。その団体が、この震災という非常事態に際して緊急講演会をやりました。一般の人に放射線の健康に対する影響を教えてあげようという「上から目線」（笑）の講演会で、タイトルは「放射線を正しく恐れる」でした。<br />
　放射線の健康に対する影響についてはまだ分からないことがたくさんある中で、どうして「正しく恐れる」などと言えるのか。あえて「正しく恐れる」というタイトルを付ける傲慢さが、わたしはすごく嫌でした。</p>

<p><big>・一方通行の情報伝達は、科学コミュニケーションではない</big></p>

<p><strong>調</strong>：それだけでも嫌だったのですけれども、講演を聞くと、その内容に驚いてしまいました。最初に話した人は「できるだけ被爆する線量を少なくしてください」と言いました。２番目の人は「被爆の量が少なければ健康にいい影響を与えます」という、ホルミシス仮説といわれている話をしました。３番目の人の話は「被害と利益をバランスを見て考えましょう」ということでした。４番目の人は「喫煙よりもリスクは小さい」と言いました。<br />
　何がまずかったかと言いますと、まずホルミシス仮説という言葉が出ましたが、その科学的な妥当性は十分に検証されていません。そういうレベルの話をするのはまずかったのです。また、４つ目の喫煙とのリスクの比較は、最悪のリスクコミュニケーションのやり方といわれています。「こういうリスクの伝え方はするな」といわれていることを見事にやってくれたわけです。<br />
　これだけで非常に問題なのですが、もっと大変なのは、学術団体である日本学術会議が、非常に偏向した組み合わせで物事を語ってしまったことです。しかも彼らは、彼らが思う正しい情報を素人に伝えてあげれば、科学コミュニケーション、正確に言うとリスクコミュニケーションがうまくいくと思っている節があるのです。</p>

<p><big>・イギリスが狂牛病問題から学んだこと</big></p>

<p><strong>調</strong>：イギリスで狂牛病問題というものがありました。あれは簡単に言うと、科学者がほんの少し態度を間違えてしまったのです。その結果として、科学者に対する信頼はかなり失われました。その状況を「信頼の危機」と呼んでいます。イギリス国民やわれわれ研究者が学んだことは、上から目線で話をして、それで事態が解決し、科学や科学者に対する不信感がなくなるわけではないということです。<br />
　サイエンスカフェの始まりはイギリスとフランスです。「信頼の危機」といわれる状況の中で、双方向のコミュニケーションを実現しようという話として始まったわけです。そういうことを知っていながら、わたしは今日初めてサイエンスカフェに参加し、サイエンスコミュニケーションなるものをやっています。この後のディスカッションを楽しみにしております。</p>

<p><strong>クリスティアン</strong>：ありがとうございました。サイエンスコミュニケーションのあり方、福島での事由について、科学的な目線から発表してくださってありがとうございます。次にサイエンスカフェについてゲルトさんからお話しいただきたいと思います。</p>

<p><big>・科学知識を市民に「移行」する、デンマーク式</big></p>

<p><strong>ゲルト</strong>：わたしはサイエンスカフェを11年間デンマークでやっています。その前には研究者としての側面もありまして、科学者から一般市民に向けての「知識の移行」に関する、政府のリサーチャーとして働いていました。<br />
　「知識の移行」とは通常、市民の学習能力を高めて向上させること、そしてそれを社会に還元することなのですけれども、それは社会に対する貢献だけというだけでなく、大学に向けての貢献でもあります。大学は重要なリサーチをしますが、リサーチに対するお金は市民が払っています。ですから、大学が「知識の移行」について真剣にとらえることがとても重要になります。</p>

<p><big>・科学技術を社会的文脈のなかで考える</big></p>

<p><strong>ゲルト</strong>：わたしたちは日常生活の中で技術の実験をしますが、問題は、わたしたちが科学や技術を理解していないことです。技術においてわたしたちがどのような行動をするかということについて、わたしたちは分かっていないのです。<br />
　ですから、技術が社会で使われていることが果たしていいことなのか、わたしやわたしの家族、わたしの住んでいるところ、国に対していいものなのか、社会的なコンテクストの中で考えなければいけません。例えばクローン再生や、携帯電話もそうです。携帯電話を使用することが社会的な行動、コミュニティ全体の行動をどのように変えるかということは、とても興味深いものがあります。<br />
　市民がどのように科学を理解しているかということについて研究が行われていますけれども、例えばフィクションプログラムによって、テレビやハリウッドの映画からサイエンスについて学ぶことができます。科学ジャーナリストが技術について説明する場合も、映画などから持ってきている部分が多いのです。</p>

<p><big>・自由なイマジネーションが、科学と社会を結ぶ</big></p>

<p><strong>ゲルト</strong>：デンマークで行われているサイエンスカフェでは、アーティストやサイエンスフィクションのバックグラウンドを持つ人たちなど、科学者以外の人を招待することが多いです。サイエンティストだけを招いても、参加者が聞いてくれないからです。科学というのは、現実的な面を理解することが必要です。<br />
　例えばサイエンスフィクションの映画は科学について間違ったアイデアを伝えてしまうことが多いのですけれども、それでも例えばクローンがどのように使われるかというまとまったイメージを観客に与えることができます。<br />
　サイエンスカフェでは、このような手段によってイマジネーションを喚起することができます。現実の生活において、特定の技術や科学の実施方法がどのように実施されているか、社会でそれがどのようにとらえられているかということについて、ディスカッションできます。<br />
　例えば、ある技術にどのようなことができ、その裏にある科学はどのようなものか、そのビジョンは何かということについて、科学者は説明することができます。再生技術についてのカフェをデンマークで行うとすれば、その裏にある技術について話します。自分の子どもの人格を選ぶことができるのか、卵子をほかの人から取ることができるのかというテクニックについて話すことができます。その一方で、何が普通なのかについても話すことができますし、わたしたちが一人一人違う人間であることがどれほど重要なのかということについても話すことができます。<br />
　わたしはサイエンスカフェをするのが大好きで、ボランティアでやっています。大学出身者ではない皆さまと交流する場が得られるので、とても楽しんでいます。そして、技術や科学に関する間違った理解を、このカフェを通して一つ一つ改善することができます。</p>

<p><big>・巨大科学技術の到来が生んだ『2001年宇宙の旅』</big></p>

<p><strong>志賀</strong>：志賀と申します。SFの雑誌の編集をしたり、SFの評論を連載したりしています。<br />
　いま、ホワイトボードに"1968"と書きました。サイエンスフィクションと一般社会との結び付きを振り返ると、幾つかターニングポイントになった時代が見えてきます。例えば、1968年はスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』が公開された年です。『2001年宇宙の旅』は映画史に残る大傑作ということで、ＳＦにあまり関心のない人でも知っています。<br />
　アーサー・C・クラークは幾つか有名な言葉を残しているのですけれども、今でも語り伝えられているものに「クラークの三法則」があります。そのうちの第三法則に「十分に発達した科学は、魔法と見分けがつかなくなる」というものがあります。これはまさに『2001年宇宙の旅』を象徴する話ではないでしょうか。<br />
　アポロが月面着陸をするのが1969年ですから、1968年の『2001年宇宙の旅』は、まさにリアルタイムで巨大科学、巨大テクノロジーが進行している中で、現実と対峙する形で作られています。この映画はＮＡＳＡの協力も得ていたといわれているのですけれども、今見てもかなりインパクトがあり、いろいろな意味で考えさせます。<br />
　例えばＨＡＬとは何だったのか。今思うと、ＨＡＬは実は全環境コントロールシステムで、宇宙船ディスカバリー号の乗組員はＨＡＬに依存することで安定的な生活を得ていました。そういうことが本当にいいのか。巨大システムやコンピュータネットワークに通信環境を委ねている現状は、本当に大丈夫なのかということを、非常に問題的にとらえている作品だと思います。</p>

<p><big>・ネットワーク社会を予見した『ニューロマンサー』</big></p>

<p><strong>志賀</strong>：もう１つ、サイエンスフィクションの歴史で画期をなすのは1984年ではないかと思います。これはウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』という作品が登場した年です。この2年前、1982年が実はスタートで、ヴァーナー・ヴィンジの『マイクロチップの魔術師』という中編の作品があります。この作品は今のコンピュータ社会のオリジナル、紀元みたいなところを非常にうまく描いています。<br />
　1982年は『ブレードランナー』と『トロン』が映画として登場して、一般的にではないにせよ、ネットワーク技術者やコンピュータサイエンティストたちに非常に大きな影響を与えました。その結実が『ニューロマンサー』です。<br />
　『ニューロマンサー』は、発表するや非常に話題になりまして、日本も含めて、その年の世界のＳＦの賞を総なめにするぐらい、世界中に衝撃を与えた作品です。この作品の一番の読みどころは、やはり、まさに誕生直前、あるいは拡散直前のネットワーク社会の魅力と危険性を非常に的確に描いたところだと思います。<br />
　僕らは『ニューロマンサー』を読んで、ネットワーク社会について希望と恐れを抱いて、1990年代、ワールド・ワイド・ウェブの誕生を迎えましたが、ビジュアルの世界で、ネットワークに対してはこういうものだよねという形で、ほとんど既視感を持って90年代を迎えられたのです。SF作家の想像力がその時代を非常に見える形で作品に結実したという点で、68年と84年は意味のある年だと思います。現実や科学、テクノロジーとの接点を描いてきたサイエンスフィクションが今ちょっと低調なのは、現実の原発事故やソーシャルネットワークシステム、シェアリングとクラウドが一体僕らに何をもたらすのかというのがなかなか見えてこないところがあるからです。そういう世界の光と闇を僕たちに見せつけるような作品の登場を待っています。<br />
</p>]]>
        
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    <title>Creative Café 光カフェ --落ち着くアカリのココロとカガク-- 3/3</title>
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    <published>2011-06-18T09:24:06Z</published>
    <updated>2011-06-18T09:53:17Z</updated>

    <summary>●明るいことはいいことなのか？ 山崎：最後に、来場者の皆さんでグループごとに対話...</summary>
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        <![CDATA[<p><big>●明るいことはいいことなのか？</big><br />
<strong>山崎</strong>：最後に、来場者の皆さんでグループごとに対話をしていただいて、新しい何かを発見していただきたいと思っています。テーマは、「光の種類や明るさ以外で、光を感じるための大切な要素は？」です。<br />
<strong>F</strong>：一番抽象的なところから申し上げますと、その場で何をするか。その場で何をするかによって、その光の印象というのは変わるだろうと。例えば集中したいときにも、単純に作業したいときっていうのも明るさが必要だと思うし。あとは気温であったりとか。<br />
<strong>山崎</strong>：気温によって光の印象は変わってくるという。<br />
<strong>G</strong>：そうですね。例えば暑いときに日光の光とかを浴びても、暑さをより感じると。あとは材質であったりとか、その場の空間、それから誰と一緒にいるかとか。他には時系列ですね。朝に見る光か、昼に見る光か、夜に見る光か。<br />
<strong>H</strong>：トイレの中に、ラメとか写真がばーっと散りばめられているトイレがあるみたいで、キラキラキラって動く度に周りも反応する。そういう動きと反射っていうのも1つの要素ではないかと思います。<br />
<strong>山崎</strong>：トイレというのは本来狭くて圧迫感のある場所ですけど、ラメとか写真とかをいろいろ散りばめてあることで、また違う印象になっていくと。<br />
<strong>I</strong>：そうですね。世界観がそこで変わっていくみたいな。<br />
<strong>山崎</strong>：トイレの世界観（笑）。<br />
<strong>J</strong>：1つ目としては色ですね。例えば青色の光がケーキなどに写ったときに、これはもうまずそうですよね。色は特に大事だというのは1つありました。あと光の分布の仕方ですね。一様に光が分布していると、落ち着かないという意見がありまして。逆に分布があるからこそ、落ち着きを得られるような光環境にあるという意見もありました。<br />
<strong>K</strong>：特に一番重要だと考えているのはフィーリング。その光や、その空間を見て、どういうふうに感じるのかということでした。そのフィーリングっていうのが一番どこに、何に依存しているのかといいますと、色ではないかと思います。例えば、蛍光灯や白熱電球のような人工的な光ではなくて、もっと自然光を考えてもらうとわかりやすいと思うのですが。朝であればさわやかな光、昼であれば白を中心としたような光で、人間のリズムと光の色が大きく関わってきているのではないかと。<br />
<strong>L</strong>：太陽光になると人間が落ち着くということは、ぼくたちはみんな感じている当然のことだと思います。だけど人間はもっと昔は夜行性だったと。むしろ夕方の光になったら目が冴える。夕日の光で落ち着くって、今では当然のことと思っているけど、それって結構思い込まされている部分があるのかもしれません。<br />
<strong>山崎</strong>：なるほど、思い込まされている。<br />
<strong>M</strong>：震災後に、電気を1つ1つ落としていきましょうというすすめがあって、社会的にも暗くしている場所に合わせて電気を消してみましょうという雰囲気がある。つまり光と影のバランスも考えていきましょうと。あともう一つ、歴史的な検証っていうのも必要なのじゃないかと。なんで光が好まれているのか、どういう光が好まれているのかとか、そういう歴史的な検証も入って、なおかつ漆黒、暗いものから光を見出す。そこから死生観なども考えていけるのではないかという話になりました。<br />
<strong>山崎</strong>：今、触れられたことなんですが、明るいことはいいことだと。それまではひたすら明るくすることにばっかり注目していたんじゃないかっていう意見が挙がりました。街の看板を見ても、向こうの看板は明るい、じゃあ、うちの方ももっと明るくしよう、そしたらこっちはさらに明るくしようとして、街の中の光がどんどんどんどん明るくなって、明るさの飽和が起きていたと思います。当然昔は日本だってあんまり電気がなく、街灯も少なかったのに、ある時期から徐々に明るくなって、もしかすると高度経済成長期の国策かもしりません。日本全体で明るくしていこうというのがあったのかもしれません。そのへんについて、もう少し時間があったら話してみたいんですけどね。<br />
今回、こちらの光カフェというのは、震災があって、この計画停電などによって電気が消えているからこのカフェをやろうとしたわけではなく、震災がある前から開催しようという話になっていました。ただ、この震災で、さらに多くの人たちが光の変化ということに注目している今だからこそ、この光カフェを開くことに、より意味があるんじゃないかという結論に至り、本日この会を開くことになりました。なかなか、身近な人たちと光について話す機会がないとは思うんですが、今回のカフェを機に、自宅に帰ったあと、家族でちょっと、家の中の照明について話してみたりしていただけたらと思います。</p>

<p>-end<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café 光カフェ --落ち着くアカリのココロとカガク-- 2/3</title>
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    <published>2011-06-18T09:04:32Z</published>
    <updated>2011-06-18T09:57:11Z</updated>

    <summary> ※金子さん掲示のパネルの写真 金子：化学専攻の金子です。こちらの図、実は皆さん...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/hikari_006.jpg"><img alt="hikari_006.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2011/06/hikari_006-thumb-300x225-180.jpg" width="300" height="225" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></a></span></p>

<p>※金子さん掲示のパネルの写真<br />
<strong>金子</strong>：化学専攻の金子です。こちらの図、実は皆さんの今の感情を表現した図になっています。さっき自分は「気になる」「気にならない」で直感的に貼ったけど、この「気になる」「気にならない」というのは、光をどんどん増やしていけば気になっていくし、反対に光が弱くなっていけば、その光の存在感は気にならなくなっていくと思います。</p>

<p><big>●光と同時に闇を意識する</big><br />
<strong>金子</strong>：なかなか言葉では言い表せない気持ちというものを、写真で表現しようとされている方がご来場されています。<br />
<strong>畑</strong>：写真で作品を作っています、畑直幸といいます。いつも何かを「可視化」するっていうことは意識しているかもしれません。写真というのは目に見えているものを写しているわけですが、自分の中の問題とか、世の中に起きている出来事とかを「見える」ようにすることを意識しているかもしれないですね。<br />
<strong>濱田</strong>：写真はもう、光が全てなんですけど。ただ、光を語る上で、光だけを認識して語るというのは結構危険な行為です。つまり光を語るのであれば、闇を語らなければいけない。闇を意識することで、光の角度が決められたりするんですね、逆に言うと。<br />
<strong>山崎</strong>：光があって、影も大事。光と影っていうのが重要なバランスをとっているんだなという感じがします。<br />
<strong>濱田</strong>：以前ちょっと実験をしてみたんですね。モンスターの絵を描いて、それをカットアウトして、２メートルぐらいのサイズに投写しました。元のネタは段ボールなんですけど、それを見た子どもたちはものすごく怖がるんですよ。なぜかというと影の元の姿を勝手にモンスターだと想像してしまっているからだと思います。我々は、目で見ているものを信用してしまうんですよね。昔から日本人ってすごい光に敏感だと思うんですよ。だから、光の感じ方が過剰になっちゃうっていうか。</p>

<p><big>●明るさをいろいろな表現で示す</big><br />
<strong>金子</strong>：なかなか深い話になってきたと思います。では、ここでぼくたち東工大の人たちが大好きな科学、特にナチュラル・サイエンスの話に移ります。光というとらえどころがないものを科学者たちはどう考えてきたかということを、少しだけ説明させてください。<br />
例えば、単純に光に対する感じ方として強さがありましたね。強ければ「まぶしい」、弱ければ「うん？」という感じ方があると思います。例えば、照度＝「ルクス」という単位があります。この単位は、ある光、光源がどこかに投影されたときに、そこに入ってくる光の量を表しています。でも、それだけではないということは、皆さんも薄々感じていると思います。そこでもう一つ、新たな<strong>輝度＝「cd(カンデラ)/m2　(平方メートル)」</strong>というものが登場してきました。<br />
それは輝度というものですが、やはり光源がぱっとついたときに、それが例えばこの室内のように区切られているときには、蛍光灯というものは壁や机から反射してくると思います。そこで皆さんの目に、どこから光が届いてきたかっていうことを測っていたのが、この輝度という単位になって...<br />
<strong>山崎</strong>：先生、もう少し易しく説明して頂いてもよろしいでしょうか（笑）？例えば照度っていうのは、ある方向から人の目に入射する光、入って来る光。で、輝度っていうのは、ある面に光が入って、それが反射する光。直接も入って来るし、反射したのも入ってくるのが輝度になると。<br />
<strong>金子</strong>：そうです。例えば、こんな所に行ってみましょう。片方が雪原、片方が砂漠のような場所へ旅してみたとしますと、同じようなところから光を当てると、例えば、先ほどの照度っていうことでしたら、同じなんです。ここの面積、ここに当たっている光の量という意味では、どこにいても、どこの場所でも、光の量は同じですよね。でも、雪原のほうに皆さんが行かれたときには、周りの雪がたくさんの光を反射させて、すごくまぶしいという感覚が生まれると思います。逆に砂漠のほうですと、光を反射する物が少ないので、雪原にいたときよりはまぶしいと感じることは少ないと思います。つまり、輝度＝カンデラという単位のほうが、皆さんのまぶしさや感じ方をより反映したような単位となっていることが知られています。<br />
<strong>山崎</strong>：明るさをただ単に表すだけであっても、いろいろな表現の仕方、単位があるということを覚えておいていただきたいと思いました。</p>

<p>じゃあもう1つ、こちらにある黒地にグレー、白地にグレー、この絵をちょっとご覧いただけますか。<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/hikari_007.jpg"><img alt="hikari_007.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2011/06/hikari_007-thumb-200x150-181.jpg" width="200" height="150" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><strong>山崎</strong>：こちらの絵をぱっと見ていただいたとすると、左と右で、どちらが明るいと思われますか。<br />
<strong>D</strong>：右のほうが明るいと思います。<br />
<strong>金子</strong>：右のほうが明るいと思われた方、挙手をお願いします。<br />
<strong>金子</strong>：真ん中の灰色の四角に注目してください（笑）。真ん中の灰色の四角に注目していただいたときに、黒がバックのときと、白がバックのときでどちらが明るいかということです。黒がバックのほうが明るいと感じられた方、挙手お願いします。ありがとうございます。<br />
逆に白がバックのときが明るいなと感じられた方。はい、ありがとうございます。<br />
期待を裏切らない結果でありがとうございます（笑）。実はまぶしさの感じを表した輝度という点では、両方の四角は同じ値を示しています。でも、皆さんのぱっと見た感じや印象というものは、違った印象を表しているということは納得していただけるのではないでしょうか。これに対して、科学の最近の試みでは、その明るさの、前と真ん中の輝度の度合いっていうのを数字で表して、その差を表現しようという試みが今までなされてきています。以上、科学のチャレンジでした（笑）。<br />
<strong>山崎</strong>：金子くんはさらっと言ったんですが、データ上では同じ明るさなんです。これは周りの光の明るさによって、人間の目には色が違って見えるということを、科学的に分析しようというチャレンジです。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café 光カフェ --落ち着くアカリのココロとカガク-- 1/3</title>
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    <published>2011-06-18T08:07:06Z</published>
    <updated>2011-06-18T09:56:51Z</updated>

    <summary>●光の当たり方が物の見え方を変える 山崎：本日司会を務めさせていただきます、工学...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><big>●光の当たり方が物の見え方を変える</big></p>

<p><strong>山崎</strong>：本日司会を務めさせていただきます、工学部４年の山崎貴史と申します。よろしくお願いします。<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/hikari_001.jpg"><img alt="hikari_001.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2011/06/hikari_001-thumb-320x236-175.jpg" width="320" height="236" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><br />
こちらの写真をご覧ください。以前の渋谷の写真です。たぶん皆さん、渋谷という言葉を聞いて思い浮かぶのは、こういう非常にきらびやかな夜景だと思います。ただ、今は大震災のあとの節電ということで、あらゆる電気が消されています。こちらは今の渋谷の街なんですが、非常に暗くなっています。こちらの会場に来るまでの間にも、皆さんたぶん、商店の看板の電気が消えていたり、駅のホームで節電されていたり、いろいろな所で光の変化というのを感じられていると思います。<br />
ここで、1つ、皆さんに質問があります。<br />
「暗くなって不便ですか？」。<br />
ダイヤモンド・オンラインでアンケートを行なった際に、「暗くなって不便ですか？」という質問に対し、83％の人が「不便・不都合をあまり感じない」と答えています。光が変化したということで、言葉で言い表せないような変化を感じていると思います。<br />
光というのは、心に強く関連しています。明るくて安心する、暗くて落ち着く、逆に暗くて怖い。また、光の当たり方によって、物の見え方というのは非常に変わってきます。本日はこちらのミニチュアを使って、光を変化させたときにどのような印象を受けるかという実験をしていきたいと思います。<br />
お手元に、先ほど配った赤と青のシールがあると思います。今、4つのシチュエーションを考えています。1つ目は「寝室」、２つ目が「リビング」、3つ目が「オフィス」、そして4つ目が「カフェ」というシチュエーションです。それぞれの場所で、まず、蛍光灯で照らしたときの印象を青いシールで、そして白熱電球で照らしたときの印象を赤いシールで、こちらのボードに貼っていただきたいと思います。こちらのボードは、縦軸には「気になる」「気にならない」、横軸には、「快」「不快」という言葉が書いてあります。このシチュエーションの中に皆さんを投影していただいて、どう感じるかというのをこのボードに貼っていただきたいと思います。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/hikari_002.jpg"><img alt="hikari_002.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2011/06/hikari_002-thumb-200x266-176.jpg" width="200" height="266" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span>（参加者、ボードにシールを貼る）</p>

<p><strong>山崎</strong>：じゃあ、ちょっと会場を明るくしてください。皆さん、ご協力ありがとうございました。この実験で、何かコメントがある方がいらしたらぜひ。<br />
<strong>A</strong>：まず、蛍光灯と白熱電球を同じワット数でやったというのは失敗（笑）。要するに、蛍光灯はもっと明るく均一に当たらないとその良さがでない。<br />
<strong>山崎</strong>：確かにそうですね、申し訳ございません（笑）<br />
<strong>B</strong>：普段オフィスで過ごしていることが多いので、オフィスで暖かい光だと、イラッとしちゃいます。<br />
<strong>山崎</strong>：確かに、もしも教室の空間でも、この白熱電球の場所だったら、たぶんみんな寝てしまいますし、オフィスだったら仕事に集中するっていう感じにはならないかもしれないですね。<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/hikari_003.jpg"><img alt="hikari_003.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2011/06/hikari_003-thumb-200x150-177.jpg" width="200" height="150" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><strong>C</strong>：パソコンで仕事をするようになってから、オフィスで明るいとか暗いとかって、あんまり関係なくなったような気がします。むしろ集中したいときはどちらかというと暗いほうがありがたいなとは思いますが。<br />
<strong>野原</strong>：私も実は同じ意見です。私のオフィスはものを考えるときには暗くするんですけど、でもそうすると変だって言われます。東工大では、勉強するときに光を暗くする学生はあんまりいないんじゃないかと思うんですけど。<br />
<strong>山崎</strong>：確かに一人だけで集中したいときっていうのは、周囲の電気を消したほうが効果的かもしれませんね。<br />
今日の機会に、これまで光について当たり前だと感じていたことに、疑問というか新しいものを発見していただけたらと思っています。</p>

<p><big>●4つの光の存在の感じ方</big></p>

<p>（4つのボードの写真を見ながら）<br />
<strong>山崎</strong>：先ほど集計を取ったこちらのボードですが、実はこちらの分布の方法について、種明かしがあります。<br />
まず、「オフィス」の分布ですが、白熱電球が灯っている部分では「不快」にシールを張られる方が多く、蛍光灯に関しては、予想通り「気にならない」という方に分布が偏っています。これは普段、学校の教室やオフィスで蛍光灯を使われている方が多いからだと思います。<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/hikari_004.jpg"><img alt="hikari_004.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2011/06/hikari_004-thumb-100x149-178.jpg" width="100" height="149" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><br />
次にカフェの分布。こちらも予想通りというか、蛍光灯を使ったカフェというのは「不快」で「気になる」ということで違和感がある。つまり普段、皆さんが行かれているようなカフェは、白熱電球、暖かい色のランプを使われた場所が多いので、同様に白熱電球を使ったシチュエーションのほうが「気にならない」という分布が増えています。<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/hikari_005.jpg"><img alt="hikari_005.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2011/06/hikari_005-thumb-150x112-179.jpg" width="150" height="112" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><br />
次にリビング。こちらは私たちの予想とはちょっと違う答えになっています。私たちの想定では、蛍光灯はそれほど不快に思わないだろうと予想していたのですが、意外にも半数の人はリビングで蛍光灯を使うのは不快だと感じられたようです。<br />
最後に寝室になります。こちらの方はリビングと似たような分布になっています。蛍光灯を寝室に使うと、あまり心地よくない。逆に白熱電球を使うと心地よい、より安眠できる。これも理にかなっていると思います。<br />
実はこの「気になる」「気にならない」、「快」「不快」という軸ですが、こちらはあるデータに基づいて分類されています。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>東京工業大学＋武蔵野美術大学＋AZホールディングス 学-学-産共同イノベーションワークショップ第一回</title>
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    <id>tag:creativeflow.jp,2011:/report//3.87</id>

    <published>2011-02-19T06:14:19Z</published>
    <updated>2011-03-03T11:05:15Z</updated>

    <summary>　東工大生と、武蔵野美術大学生がいっしょになって、ものをつくり思考を表現するワー...</summary>
    <author>
        <name>creativeflow</name>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p>　東工大生と、武蔵野美術大学生がいっしょになって、ものをつくり思考を表現するワークショップを行いました。<br />
知識はあるけれど、コミュニケーション力が弱い。発想力はあるけれど、論理構成が苦手。技術はあるけれど自分を表現するにはどうしてよいかわからない。人はいろいろな強さ、弱さを持っています。<br />
　広い意味での「デザイン感性」を持った人を、これからの社会や企業が求めています。ものの機能性とデザインをバランスよく表現する商品を、多様な視点を取り入れ、チームで議論しつつ作れる人材です。「多くの人に共感してもらあえるアイディアや考え方（コンセプト）を持つこと」と、「それをいかに形にするか」がポイントです。<br />
　多様な文化を背負った、いろいろな人たちと協力しながら、いかに自分のアイデアを社会に、世界に具体化し出していくことができるか。</p>

<p>　初回である今回、第一日目は「自分が行ってみたい場所」というテーマを起点として始まりました。恵比寿のイベントスペースＡＭＵにて。それがどんなところかを挙げていき、それにどんな価値が見出されるかをチームに分かれて議論し、そこから少しずつ各チームがひとつのコンセプトを形成していきました。</p>

<p>　自分たちのコンセプトを言語化し、ビジュアル化して共有する方法として、参考にしたのがマシュー・フレデリック『建築デザイン　101のアイディア』（ＭＩＴ出版局、フィルムアート社刊）です。ビジターの方々も外部から見学に来てくださいました。</p>

<p>　二日目は、東工大ものつくり教育研究支援センターに場所を移し、実際にものをつくってコンセプトを表現することを試みました。材料は２ｍ×１ｍ×５０ｃｍの発泡スチロール材。どんな大きさでも、形でもかまわない、コンセプトを立体で伝えるためのものをつくる、ということのみが条件でした。<br />
　ニクロム線やヒートカッターを利用して材料を切りくずし、形にしていきました。ほとんどの参加者にとって、はじめて扱うテーマであり、素材であり、工具でした。ものつくりセンターの方々に、細やかに辛抱強くご指導いただきました。</p>

<p>　作りながらも、目指す造形が何なのか、伝えるコンセプトは何なのか、どんどんわからなくなり議論をくりかえします。コンセプトそのものが転がり、変容していきました。<br />
　ある班では立方体から球体を作り出す為に、様々なアイディアを出し合い型紙や工作方法に工夫をこらして作業を進めて行く姿が見受けられました。<br />
　金曜は、ワークショップはオフ日でしたが、全員がものつくりセンターに入れ替わり立ち替わりやって来ては作業を続けました。</p>

<p>　最終日の三日目は、土曜日でした。ＡＭＵに、完成した作品を持ち込んで、プレゼンテーションと議論を行ないました。１０分プレゼンの条件は「立体作品」「ことばによる簡潔なコンセプト」「絵、図などにビジュアル化したコンセプト」の３本立てとする、ということのみ。ビジターの方々に再びたくさんお集まりいただき、実のある質疑応答となりました。</p>

<p>　コンセプトの整理の甘さ、造形とコンセプトの関係の不明瞭さなど、つぎつぎと指摘され、さらなる議論へ。それまで分かれていたチーム同士が混ざって、どうすれば改善されるか話し合いました。２回目のチャンスとして、それぞれ５分のプレゼン。さらに多くのコメント、議論が続きました。最後は作品を写真の形で残し、終了。</p>

<p>　２つの大学の文化を背負った学生たちが、ともに議論しものをつくることを通して、デザインすること、コンセプトを創ることを考えた３日間でした。ワークショップ終了後、恵比寿にて（盛大に）打ち上げをし、学生同士さらなる交流を深めることができました。</p>

<p>＜日程＞<br />
2011年2月<br />
16日（水）13.30-16.30　恵比寿クリエイティヴ・スペースamu<br />
17日（木）13.30-16.30　東京工業大学ものづくりセンター<br />
19日（土）13.30-16.30　恵比寿クリエイティヴ・スペースamu</p>

<p>＜参加者＞<br />
東工大７名（内ＴＡ２名）、武蔵美７名（内ＴＡ５名）</p>

<p>＜スタッフ＞<br />
武蔵野美術大学デザイン情報学科　井口 博美 教授<br />
東京工業大学　野原 佳代子 准教授<br />
フィルムアート社編集長　津田 弘志 氏<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café アーキテクチャシリーズ 第3回 モノがたりを装う～ファッションとアーキテクチャ～ 3/3</title>
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    <published>2010-10-05T00:49:12Z</published>
    <updated>2010-10-14T08:59:17Z</updated>

    <summary>Q１ファッション＝標準化と差別化の社会的ダイナミクスという考え方を、各種デザイン...</summary>
    <author>
        <name>creativeflow</name>
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    </author>
    
        <category term="01.Creative Café" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><strong>Q１</strong>ファッション＝標準化と差別化の社会的ダイナミクスという考え方を、各種デザイン業界に適用することの功罪についてもう一度聞きたいです。さらに深町氏自身は、そのファッション化をどのようにとらえているのでしょうか。<br />
<strong>A1</strong>：ファッション産業の手法の応用は約９0年前から適用されていることであり、Ｗ．リップマンやV.パッカードの著作の中にもさまざまな事例が出ています。そのことが一般に知られていないだけではないでしょうか。<br />
その「功罪」はそれぞれの立場により変わってきますので断定することはできません、私たちは消費者であると同時に生産者でもあるわけですから。 各種産業のファッション化（標準化と差別化による社会的ダイナミックス）は 成熟化する社会の必然的方向であったのでしょう。農業への回帰やスローライフの提案はそのようなスピードを増すファッション化社会への反動とも考えられます。<br />
<strong>Q2</strong>：私たちの服や家電製品の選択に、他者の意図がこれほど強く関わっているとは思いもしませんでした。他にも商業界から仕掛けられている具体的な話があったら聞かせてください。<br />
<strong>A2</strong>： 世の中にデザインされていないモノ（やサービス）がないとするならば、すべてに他者の意図が入っているといえるでしょう。ただ、受け取り方は個人個人で違いがありますので、他者の意図（デザイン・PR戦略の意図）に気づかず自分の意志であると考える人も多いでしょう。選挙においてもこのようなPR戦略が応用されていることは周知されています。<br />
このような「仕掛け」についてのリテラシーは、たとえば芸術作品の鑑賞により鍛えられると考えています。作品のテクストとコンテクストの読み取り訓練です。アートの鑑賞とは作品自体の美だけでなく、作者の制作意図を読み取ることも楽しみの一つだと思います。<br />
<strong>Q3</strong>：一見違う立場にある３人（オイラー、デュシャン、シャネル）のつながりについて。数学・アート・服飾が根底でどの様に関与し合っているのか、わかりやすく教えてください。<br />
<strong>A3</strong>：数学は物理・化学・生物学等のサイエンスの基礎として捉えていただきたいとおもいます。 まず、サイエンスの革新により新技術が創造されます、これは機能としての差別化の成立です。 こののちコストダウンのための標準化が起こります。たとえばDELLコンピュータのシステム （デヴァイスの世界的分業）のような産業構造です。すると製品の機能において差はなくなります。 そこで、製品寿命を延命するために機能以外の付加価値を付与することによる差別化が必要となります。 それが、著名アーティストとのコラボやダブルネームなどに代表されるアート的要素（情感的な付加価値）です。<br />
機能におけるファッション性（差別化と標準化）とアート的要素によるファッション性（差別化と標準化）。 ここに、サイエンス＆アートのファッション性による心理的・社会的・経済的・文化的ダイナミズムが成立します。<br />
オイラー、デュシャン、シャネルはそれぞれの分野で創造的な革新を起こしました。 その革命は分野制限的なものではなく、時間や地域を超えた分野横断的なマトリクスを 生成し、社会設計（アーキテクチャ）の発動を促したと言えないでしょうか。皆さんとともに考えていきたいところです。<br />
<strong>Q4</strong>：科学を始めとし、学問はファッション化されていくものなのか？もしそうなら、それはどの辺りまででくいとめられ、線引きがなされるべきなのでしょう？<br />
<strong>A4</strong>：学問にも流行（標準化と差別化）はあるのではないでしょうか？すでに一般化した、もしくは、大方の結論の出ていることを研究することは稀だと思います。 独自の研究つまりここでも差別化が必要となるでしょう。<br />
たとえば環境問題のための研究はどうでしょう？ロボット研究はなぜ盛んなのか？芸術学、美学においても研究の流行はあります。それは、社会的要請に応えるかたちで成立しているので積極的に評価されるべきです。<br />
その一方で、基礎研究が大切とは言われながら、自然科学においても人文においても 直接産業と結びつかない（産学コラボの成立しない）研究のための研究というのが難しくなっているように思います。そのような（経済的価値の差別化に重点を置く）意味での学問のファッション化については、社会の中で基礎研究をどのような位置づけで考えていくべきか、 私たち個人々々の考え方が深く問われているように思います。<br />
<strong>Q5</strong>：今回、深町氏がカフェというスタイルを通じて、参加者から意見を聞いた感想を教えてください。<br />
<strong>A5</strong>：参加者の方の意見をうかがうことはとても貴重でした。皆さんそれぞれの考え方を共有することで思考が多角化しますし、発見があります。今回背景の違う方がたくさんいらしてくださったのでとても有意義でした。<br />
<strong>Q6</strong>：ファッションの将来のあり方についてどの様に考えていますか？<br />
<strong>A6</strong>：ファッション（狭義＝服とその周辺）に関して、後進国が先進国になる過程で発展するのが繊維産業（低賃金労働力が必要）であることを考慮すれば、その中心は世界の中でシフトしていくことが必然です。その意味で、日本はサイエンス的（技術・機能）にもアート的（情感）にもすぐれたクリエーション（差別化）が必要とされると考えます。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café アーキテクチャシリーズ 第3回 モノがたりを装う～ファッションとアーキテクチャ～ 2/3</title>
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    <published>2010-10-02T09:01:53Z</published>
    <updated>2010-10-14T08:58:45Z</updated>

    <summary>●fashionの歴史と本質 　fashionがいつからあるのかということがあり...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><big>●fashionの歴史と本質</big><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/sans-culotte.jpg"><img alt="sans-culotte.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/sans-culotte-thumb-283x386-159.jpg" width="283" height="386" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span>　fashionがいつからあるのかということがあります。fashionの歴史を知りたいと思われる方、いらっしゃいますか？諸説ありますが、　フランス革命以後から考えたいとおもいます。たとえばサン・キュロット（sans-culotte仏）という言葉、ご存知ですか？　キュロットっていうのは貴族の象徴である半ズボン。「ｓａｎｓ」とは、英語で言うところの（without）なので、半ズボンをはかないということですね。ですから、貴族に対する庶民。服は今以上に政治的なメッセージを強く保持していました。フランス革命以後、貴族に対する（西洋）ブルジョワジーが台頭します。そこで、いわゆる民主的な発想があって、個体としての人間を優先させる。ここで初めてfashionという概念が出てきます。政治的な表象としての服ではなく、政治的な意味を失った自己表象としてのファッション。男性スーツはなぜグレーや黒なのか、そのスーツの意味というのも、社会構造の変化という見方があります。「我々は貴族ではなく、民主的市民である」という意味です。<br />
このようにファッションは社会構造の変化、社会設計（アーキテクチャ）と深くかかわっています。<br />
ファッションは政治的意味性を弱め、自己表象の要素となりました。その後、ファッションデザイナーが登場します。</p>

<p>先ほど、ファッションと社会設計（アーキテクチャ）の関係についてお話ししました。モノとしての服だけではファッションは成立できません。その時代の社会・文化的背景、メディアの扇動など様々な要素が必要となります。社会現象としてファッション。各種メディアの発達。雑誌の刊行。その中で文学者たちがファッションについて様々に語り始めます。例えば、バルザックが「シンプルという贅沢」といっています。要するに貴族はゴテゴテしたもの、デコライティブなものをつくったけど、それはやめようと。そのような言葉がメッセージ性を帯びて流行に影響を及ぼします。</p>

<p><big>●トレンド＝世界市場を作る</big><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/IMG_0814.JPG"><img alt="IMG_0814.JPG" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/IMG_0814-thumb-320x213-151.jpg" width="320" height="213" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><strong>深町</strong>：いまだヨーロッパがトレンド発信の中心です。基本的にアートもそうですけども世界的な「構造」となっています。そのような世界のなかで、日本人がファッションデザイナーとして活躍する場所があるのか。例えば、70年代－80年代初頭の日本人デザイナーの衝撃的なヨーロッパデビューとその後の活躍。　日本人から見ると「よくやった」という文脈になるのですが、西洋人からすると、市場をつくるために受け入れたという見方になります。<br />
　新しい市場をつくり、ヨーロッパでつくられている服が売れるためには、その付加価値を認める人間をつくる必要あります。服に興味を持ち剰余価値（ブランド）を認める人間です。そのためには、市場となる国のデザイナーを受け入れる。人々は自国のデザイナーを称賛しつつヨーロッパの服にも目を向けます。ルイ・ヴィトンフランスのメゾン（高級ブランド）のアメリカ人デザイナーの起用は彼の才能に加え、アメリカの市場に向けての戦略ともいえます。現代美術のアーティストとファッションブランドのコラボレーションによる新たな付加価値創造。このように、ファッションは世界的な政治・社会・文化構造を見据え、あらゆる分野に応用されるような戦略的市場設計を実践しているというのが、私の実感です。</p>

<p><br />
<big>●fashion（＝ファッションおよび「ファッション」）の本質とは？</big><br />
fashionの本質とは何かということを、皆さんと考えてみたいと思います。かつて、貴族的な階層、階級を破壊するという社会構造の変化が現代的な意味でのfashionを生みだしました。</p>

<p>どのようにfashionが生まれるのか。<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="engine room.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/photo/engine%20room.jpg" width="258" height="340" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>まず、マクロ的視点（社会全体）で考えてみます。私たちは、常に上位の人、何か面白いことをやっている人のイメージを共有したいと思います（標準化）。自分があこがれる対象の真似・模倣というのが流行の一つの大きな要因といえます。すると、模倣される対象者はさらに新しいものを求める（差別化）。<br />
多くの人に手に取ってもらうため（標準化）には技術的発達が不可欠です（サイエンス）。そして、さらなる特徴を生み出す（差別化）ためには情感に訴える要素（デザイン性さらにはアート性）が必要になります。技術とデザインの革新の連続。こうした標準化と差別化の繰り返しが技術産業、デザイン産業を中心に経済活動を促進し、文化的・社会的ダイナミズムを生み出します。このダイナミズムはファッションが生みだした社会設計（アーキテクチャ）といえるしょう。服飾産業から発達した「ファッション」（＝つくること）的ダイナミズムは他の様々な産業に応用されることとなりました。例えば、自動車産業。技術の発達（走行安定性やパワー）による訴求力が弱まると、パッケージ（外観）のデザインで訴求します。そしてまた新しい技術での訴求（ＥＸ．ガソリンエンジンからハイブリッドへ）。一般には気づかれないのですが、ファッションにおいて昔流行った形だと思っても、糸や布地、縫製の技術革新は常に進化しており、そのたびにデザインも少しずつ変化しているのです。</p>

<p>次に、ミクロ的視点（私たち個人）から考えてみます。<br />
身体を覆う、布を「被る」時代から身を「着飾る」時代を経て、「装う」時代へ。これは服の歴史としてだけでなく、私たちが服とどのように関わっていくかを表しているといえるでしょう。本日は『モノがたりを装う』と題しています。まず、「モノ」としての服が存在します。そして、「ものがたり」を表象するものとしての服があります、つまりその「モノ」が表象しているイメージです。最後に「装う」。自分にどのような「装い」が合っているかを社会的な意味において発見するというのが重要なのです。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/IMG_0998.JPG"><img alt="IMG_0998.JPG" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/IMG_0998-thumb-200x300-153.jpg" width="200" height="300" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span>あらためて、fashionの本質とはなにか。<br />
人が生きる上で必要なことは他者からその存在を認められること、「認知」されることだと思います。身にまとう服や持ち物は、無意識にせよその人がどのように認知されたいかを表象しています。ファッションはその人の生き方をあらわし、それにより他者から「認知」され、ひいては生きがいを得るために重要なものといえるでしょう。<br />
社会設計（アーキテクチャ）との関わりでいえば、「モノ」をつくる様々な技術の構造設計、「ものがたり」（＝イメージ）をつくるデザイン・アート、メディアの構造設計、個人の「装い」を正当化する文化・社会の構造設計が「ファッション」（＝つくること）を成立させるといえます。それぞれが流行を生み出す要素です。<br />
このようにfashionの本質をとらえてみると、時間的サイクルの長短はあれ、世の中すべてのものがfashionであると思うのです。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café アーキテクチャシリーズ 第3回 モノがたりを装う～ファッションとアーキテクチャ～ 1/3</title>
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    <published>2010-10-02T08:55:34Z</published>
    <updated>2010-10-14T08:55:43Z</updated>

    <summary>野原：今日はこんなにたくさんお越しいただきまして、ありがとうございます。満員御礼...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/IMG_0680.JPG"><img alt="IMG_0680.JPG" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/IMG_0680-thumb-260x390-146.jpg" width="260" height="390" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><strong>野原</strong>：今日はこんなにたくさんお越しいただきまして、ありがとうございます。満員御礼を超えてますね。東工大では、「Creative Fｌow」というタイトルを付けまして、いろいろな活動をさせていただいています。サイエンスやテクノロジー、科学技術の側に普段はいることが多いわけですけれども、サイエンスだけでは世の中っていうのは成り立っていかないです。サイエンスを突き詰めて考えていくと、非常にアート的な要素が見えてくる。また逆もある。そういうことを私たちはこれを、この活動を通して、少しずつ経験と考えを積み重ねていっています。<br />
　<br />
<big>●ファッションとは何か？</big><br />
<strong>深町</strong>：よろしくお願いいたします。私の両親はかつてファッション関係の仕事に従事しおりまして、私が物心ついたときには、糸や布、ミシン、そしてたくさんの服に囲まれていました。中・高校生のときから、『マリ・クレール』だとか『ヴォーグ』だとか、そういうファッション雑誌を自分で買ってみていました。私にとってファッションは不可避なものだったようです。<br />
　今回はクリエイティヴフローにおけるコンセプトベースとなるサイエンスとアートに対してファッションがどのような関係を持つか考えたいと思います。そこで本日は、シリーズテーマである「アーキテクチャ」を「社会設計」として捉えていきます。お話を進める前に、ファッションとは一体なんなのか。ちょっと考えてみたいと思います。皆さんがファッションという言葉からイメージするものには、どんなものがありますか？　<br />
<strong>Ａ</strong>：パリコレとか。<br />
<strong>Ｂ</strong>：パリとか。<br />
<strong>Ｃ</strong>：布。<br />
<strong>Ｄ</strong>：靴とか、布。<br />
<strong>Ｅ</strong>：ライフスタイル。<br />
<strong>Ｇ</strong>：流行。<br />
<strong>Ｈ</strong>：装い。</p>

<p><strong>深町</strong>：ライフスタイル。最近の総合商社ではファッション部とか繊維部が産業環境の変化に伴いライフスタイル（生活産業）部門に吸収さています。「ファッション」というものを生活全般のなかに位置付けているといえます。<br />
　ここで、ファッションという言葉をあらためて考えたいと思います。ｆａｓｈｉｏｎ（流行、様式ほか）の語源はラテン語のｆａｃｔｉｏで、その意味は"つくること""形作ること"。ファッションとは本来、何かをつくるということを意味しているわけです。関係する語には，ａｆｆｅｃｔ（感情、影響する）とかｆａｃｔ（現実・情報），ｆａｃｔｉｏｎ（派閥・党派心）があります。<br />
あるまとまった志向（⇔ｆａｃｔｉｏｎ）を持つ人々の情感に影響する（⇔ａｆｆｅｃｔ）情報を現実（⇔ｆａｃｔ）に形作る（⇔ｆａｓｈｉｏｎ）・・・生活全般に関わる言葉といえるのではないでしょうか。</p>

<p>　日本でファッションと言ったら、「流行のファッション」「定番のファッション」。ファッション自体が「流行」なのに「流行の流行？」とかっておかしくなってしまいます。　単にファッションと言った場合には、「服装とその周辺」というふうに考えていただきたいと思います。このほかｍｏｄｅ（モード）という言葉が最近聞かれます。この語源はラテン語のｍｏｄｕｓ（尺度；方法）です。モードとはファッションに対してさらに広い範囲の流行を示していると考えてよいでしょう。</p>

<p>　【＊注：以下、ファッション＝服とその周辺、流行、「ファッション」＝「アーキテクチャ」「つくること」、fashion＝ファッション＋「ファッション」、というように言葉を使い分けます】</p>

<p><big>●fashionの表層と深層</big><br />
<strong>深町</strong>：『東京ガールズコレクション』というイベントをご存知でしょうか？ファッションモデルだけでなく、話題のタレントなどが出てくるファッションイベントです。コレクションモデルではなく隣にいるような親近感のあるモデルが着るリアルクローズのイベントです。一見、服を売るためのイベントと思いますが、実際は携帯端末を利用したショッピングのスキームづくりがその主目的でした。ショーを見ながらその場で購入できるのです。服を売ることに加え、携帯端末で利益を得るシステム。主役となる産業が違います。<br />
　表層は服のイベントですが、深層では別の目的があります。出資元を見ると分かります。これはシステムを「つくること」＝「ファッション」の例です。<br />
　fashionとは服をつくるだけではなく、その全体のスキームづくりといえます。そうすると、アーキテクチャ（社会設計）的な見方が成立します。<br />
百貨店や量販店に出向いて購入するという流通モデルから、端末での購入する流通モデルに構造が変化していくわけです。さらにいえば、流通モデルが変わると服自体のデザインにも影響を与えます。</p>

<p><big>●メディアが作り出す生活産業の流行（ファッション）</big><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/IMG_0747.JPG"><img alt="IMG_0747.JPG" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/IMG_0747-thumb-200x300-149.jpg" width="200" height="300" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span>　fashionは、心理マーケティングとか、脳科学の研究と深く関わっています。産業界が脳科学に期待することは「いかにして利益を生む顧客を作り出すことができるか」でしょう。どうすれば自社の商品を買ってもらうことができるのか。市場をリサーチするとともに購買の心理的メカニズムを解明するのです。例えば、皆さんご存知のガンダム世代をつくること。一度気に入ったら、永遠にそれを買いつづけるガンダム世代のようなタイプの顧客を自社で持つことが理想のようです。</p>

<p>ところで、最近理科の実験室でおきている事故があるとのことなのですが、何かおわかりになりますか？　<br />
<strong>S</strong>：火がつけられないとか、そういう。<br />
<strong>深町</strong>：はい。火の取り扱いですね。これは、子供達の家庭はＩＨヒーティングが増え、キッチンテーブルに紙をおいてスイッチ入れても炎はでない。ところが実験ではガスやアルコールランプを使います。不注意で燃えることもあるでしょう。<br />
では、なぜＩＨヒーティングは流行ったのでしょうか？　<br />
<strong>Ｍ</strong>：エネルギー戦争。<br />
<strong>Ｎ</strong>：火を使わないので、火事になるリスクが少ない。<br />
<strong>Ｐ</strong>：掃除が便利。<br />
<strong>Ｔ</strong>：エコロジー<br />
深町：では、エネルギー効率として、ガスと電気、どちらがＣＯ２の発生量が少ないのでしょう？<br />
<strong>Ｎ</strong>：ぱっと見、ガスのほうがＣＯ２出してると思うんですけど、でも実は、エネルギー効率的に考えると、ＩＨのほうが、実は大変効率が悪いんですよね。<br />
<strong>深町</strong>：はい。さすが（工学専攻）ですね。では、なぜ流行っているか。これはファッションに関わってきます。ものをつくるために、ものを売るために、とても重要なのがファッション性です。ファッションや流行をつくるシステムと考えてみましょう。どのように流行をつくるかが重要。　考慮に入れるのは、誰がＩＨヒーティングの購入を決定するかです。<br />
<strong>Ｏ</strong>：女性。<br />
<strong>深町</strong>：女性。家事を行うことの多い男性や年配の家庭もあるでしょうが、女性が多いでしょう。一般化して女性や奥様が好きなものはなんでしょうか？　<br />
<strong>Ｏ</strong>：ファッション。<br />
<strong>深町</strong>：ファッション。（偏ったイメージともいえますが）具体的にＩＨが出始めたころ、奥様方に人気のあったグループやタレントって、どんな方々でしょう？　<br />
<strong>深町</strong>：そう、韓流スターが流行っていました。韓流映画『私の中の消しゴム』のなかで記憶がなくなってしまう彼女のために、火が危ないからＩＨヒーティングを入れるというシーンが入っています。すると、映画の歓客の中には「これだ！」「うちもこれにしなきゃ」と思う人もいるでしょう。情感を揺さぶられる状況の中で観た商品に対する共感・・・心理学における「吊り橋理論」や脳科学の応用を想起させます。男性にとっても女性にとっても購入動機の発動装置として雑誌やテレビに加え、映画は流行をつくる重要なメディアです。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café アーキテクチャシリーズ 第1回 汚しうる美　stainable beauty 2/2</title>
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    <published>2010-09-29T00:25:00Z</published>
    <updated>2010-10-09T00:50:38Z</updated>

    <summary>グリッドフレーム、完成させない格子 田中：そこから、グリッドなフレームという考え...</summary>
    <author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><big>グリッドフレーム、完成させない格子</big><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/4707496777_477348d9fb_b.jpg"><img alt="4707496777_477348d9fb_b.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/4707496777_477348d9fb_b-thumb-200x300-128.jpg" width="200" height="300" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><strong>田中</strong>：そこから、グリッドなフレームという考えがでてきます。たしかに無秩序の混沌が目の前にばーっと広がってしまうと、容認できません。で、それを弱めるためと言うか、それを直視することができるようにするための術として「格子」＝グリッドという秩序をかぶせる。格子をかぶせることによって、「汚しうる美」と言えるような表面ができるのではないか。私はそのような格子のシステムパーツをつくって、あらゆる空間をつくっていこう、と会社を興したのです。<br />
<strong>津田</strong>：それは商品として成立するのですか？<br />
<strong>田中</strong>：はい。しかし、元々、混沌と向き合うためのパーツですから。混沌にわざわざ向かい合いたいという人はなかなかいません。商品を売るためには、そのようなコンセプトを潜ませつつ、使い勝手やわかりやすいデザインの良さで売っていくことになります。グリッドフレームというのは、無秩序なものだけでなく、中へはなんでも入れていいようにするための格子なので汎用性がありました。しかし、次第に、店舗空間全体などの複雑な造作に対応するようになってくると、システムパーツだけでは対応できなくなってきました。<br />
そこで、グリッドフレームの重要なコンセプトを抽出して、システムパーツを使わない制作にシフトすることになりました。いまや、グリッドフレームは、コンセプトです。<br />
その重要なコンセプトとは、「なる」ということです。どうすれば、｢汚しうる美｣のように自然が作用して「なる」ものを、本来「する」行為である「つくる」の中で実現することができるのか。<br />
この問いに対する私たちなりの答えが、現在の制作プロセスに表れています。</p>

<p>私たちは、明確なゴールを設定しない。ある意味完成させないです。弊社は設計施工ですから、施工する人員も抱えているんですけど工場がありまして、そこで店舗の内装に関するいろんな物を作っていきます。<br />
設計図としては、パースと平面図を提出するんですが、そのパースにはディテールは描かない。そこには空気感と言うか、そういうものだけを表現する。ディテールに関しては、４人アーティストがいるんです。クライアントにパースを見せるときには、「こういう雰囲気のものになりますが、最終的に何ができあがるかは誰も知りません」と、「それが私たちのやり方で、だからこそいいものができると思っています」っていう話をさせていただいています。本当に、信頼関係をベースとしてやらせていただいてますね。だから、できあがりを見に行くと、私たち自身にも「おおっ、こうなったか」という驚きがあります(笑)。<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/stainable3.jpg"><img alt="stainable3.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/09/stainable3-thumb-320x240-120.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span>設計者としてアーティストたちに空気感を伝達するには、パースと、ひとつのフレーズを用意します。これはアパレルのショールームですね。ショールームで、この鉄板のうねりの向こうには社長室があり日々バッグのデザインをされています。ここのフレーズは、「創造力はケージからステージにつらぬく閃光である」。次は接骨院、こちらのフレーズが「骨と筋肉がなす構成美」という（笑）。<br />
基本的にできあがったお店っていうのは、そのあと、どんどん、できればオーナーさんの好みでつくり変えていっていただきたいというふうな希望を持っています。どんどん、その場合その場合に合わせてつくり変えていっていただきたいなと。それを、私たちの中では「ものづくりの連鎖」というふうに呼んでいます。<br />
現在つくっているものの中に、混沌と向き合える空間、という当初の目的が達成されているのか、みなさんはどう感じられるでしょうか。</p>

<p><big>クリエイティブ・サルベージの実践</big><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/4708140766_dc97205ae1_b.jpg"><img alt="4708140766_dc97205ae1_b.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/4708140766_dc97205ae1_b-thumb-320x212-126.jpg" width="320" height="212" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><strong>Ｎ</strong>：ぼくは、バルセロナの集合住宅とか、スクラップの山とか、面白いと思って魅力を感じるんですけど、それは無名の、そして複数の人の意思とか歴史からできている。それが面白い、かつ怖い。でも、そういうものが、グリッドフレームさんの、全てを一人で設計しないでアーティストに委ねるとか、ゴールを設定しないとか、そういうスタンスに生きているのかなと思いました。<br />
<strong>Ｑ</strong>：私は、全体に流れるトーンの中で、自分と同じことを考えている部分がたくさんあるように思いました。私は、テレビ番組を作っているんですけれども、「ゴミの山は宝の山」っていうシリーズを５本ぐらいやったことがあるんですね（笑）。そのときに何を考えたかっていうと、ゴミという物ではなくて、「物を物として見る」ということを始めないと何も始まらないなというふうに思いますね。そういうふうに考えて、「ゴミという物はないと、物はあるんだ」というふうに考えました。<br />
<strong>Ｒ</strong>：廃墟って言われる所っていうのは、元はすごい栄えていた、たとえば大きいホテルであるとか、鉱山であるとか、そういう物が使われなくなって、そこが、たとえば草が生えたり、いろんな風化がおきて、また新しい価値が見出せる。崩れたときに新しい価値がもう１回できるというか。そこで、あらためて見えました。<br />
<strong>津田</strong>：「クリエイティブ・サルベージ」っていう考え方があります。それは「創造的廃品回収」と訳されていますけれども、廃品を創造的に作りかえるという考え。田中さんの考え方は、「クリエイティブ・サルベージ」をすでに実践＝商品として行われています。それは混沌をたんに排除するのではなく、受け入れる果敢な現代の挑戦ではないでしょうか。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café アーキテクチャシリーズ 第1回 汚しうる美　stainable beauty 1/2</title>
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    <published>2010-09-29T00:01:42Z</published>
    <updated>2010-10-09T00:49:56Z</updated>

    <summary>27カ国を旅する 田中：今日はどうもありがとうございます。私は、グリッドフレーム...</summary>
    <author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><big>27カ国を旅する</big><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/stainable1.jpg"><img alt="stainable1.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/09/stainable1-thumb-320x215-116.jpg" width="320" height="215" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><strong>田中</strong>：今日はどうもありがとうございます。私は、グリッドフレームという内装空間をつくる会社の代表です。<br />
<strong>津田</strong>：田中さんは学生時代、いろんな国を旅行されていますね。<br />
<strong>田中</strong>：はい、27カ国、アジア、アフリカなど欧米ではない国がほとんどです。将来そこでダムとか橋とかをつくりたいと思ったのですが、私は元来虫が嫌いで、果たして本当にそこで暮らせるのか、と事前に確かめたかったんです。ケニアでは、蚊に１回刺されると足が２倍ぐらいに膨れ上がるような体験をしました。でも行ってみれば意外にどんなことも平気でした。<br />
　モロッコのフェズっていう町の裏通りで「迷宮」と呼ばれる場所は、風化して壁が崩れていたり、いろんなものが朽ちていたりするんですが、そのような環境はそこにいる人に「こうしろ」という命令をしない感じがして居心地がよかったです。私は、こういったものを切り取って、美しいと感じて見るんです。<br />
<strong>津田</strong>：これを見て、美しいと感じられる方は？　<br />
<strong>Ａ</strong>：私も、錆とかすごく好きで、見ただけで歴史を感じて、奥深さをすごく感じます。<br />
<strong>Ｅ</strong>：私は反対です。雨風にさらされてとか、人が傷ついているんじゃないかとかを想像して、美しいとは思いませんね。</p>

<p><big>汚しうる美</big><br />
<strong>田中</strong>：そこで「汚しうる美」っていうものについて考え始めました。まず、「汚しうる美」の反対として「汚せない美」っていうのがあると思うのです。「汚せない美」は、たとえば美術館の絵がそうです。触れてはいけない、もちろんその表面を壊してもいけない、そういう美のあり方だと思います。一方、私がここでタイトルにした「汚しうる美」っていうのは、実際に汚しうるんです。<br />
<strong>I</strong>：こういう「汚しうる美」が自分の世界の外にあるぶんには構わないんですけど、自分の内側にあるものだったら、「いつかこの野郎、ぶっ殺してやるぞ」みたいに思います（笑）<br />
<strong>津田</strong>：人間心理の面白いところですよね。内面の汚れと外面の「汚しうる美」をどうとらえるか。<br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/stainable2.jpg"><img alt="stainable2.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/09/stainable2-thumb-320x215-118.jpg" width="320" height="215" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><strong>田中</strong>：秩序が、無秩序を感じ、それを受け入れるための秩序が必要で、それが「汚しうる美」ではないでしょうか。バルセロナの旧市街に一つのアパートがあります。これも半分壊された状態で、普通に生活が営まれている場所です。これはバルセロナがすごく著名なアーティストをたくさん産んでいることと関係があるような気がします。死んだ状態のもの、必ずその「死」からまた「生」が生まれてくる、パワーが生まれてくるんじゃないのかなと思います。<br />
<strong>Ｇ</strong>：秩序のないものが、全体の中で逆に秩序があるんじゃないかな。とても美しいと思います。<br />
<strong>Ｈ</strong>：個人的には、美しいというのは、イコール「きれい」といえないでしょうか？だから美しいとは、私は思えないんですが。<br />
<strong>津田</strong>：日本文化でも、「わび・さび」とかありますね。たとえば、岡倉天心の『茶の本』に、あるお寺の庭を掃除していて非常にきれいになってる。老僧が出てきて「これはけしからん」と一喝。そして木を揺すって、枯葉がばーっと庭に落ちて汚します。「これでよい」と。そういう話が出てきますけども、どこかに「秩序を逸脱したもの」を入れないと、秩序が本当に美しく見えない、逆説的なところがあるような気がしますが、そのへんで意見が分かれているのではないでしょうか？</p>

<p><big>アートとデザインの違い</big><br />
<strong>田中</strong>：そのへんはアートとデザインの関係でもありますね。デザインは「する」もので、アートは「なる」もの、そういう感覚を私自身は持っています。デザインは、方向性、ゴールをきちんと決めて、そこへ向かって、まっすぐいく。ゴールからはみ出したものは価値がないものと基本的に見なす。アートっていうのは、つくる段階では、「する」と言うか、何かに向かっていくんですけど、そのつくる過程の中で、いろんな余計なものがまとわりついてきて、できあがったものには、意図から外れた部分がいっぱい見えてくる。つくる過程で最初には想定できなかったものを認めるというのがアートではないでしょうか。「汚しうる美」はアートなんです。アートとしての空間をつくっていきたいなと思っています。</p>

<p><big>ものをそれ自体として見れるか</big><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/4708139828_cc3f79b58a_b.jpg"><img alt="4708139828_cc3f79b58a_b.jpg" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/4708139828_cc3f79b58a_b-thumb-320x240-130.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><strong>田中</strong>：私が建築を学んだアメリカのバッファローっていう町にはスクラップヤードがたくさんありました。そこには捨てられた物がだーっと集まっています。よく見ると、ベンツのボディなど高級な物から、格安の低級な物まで、全て重さで計れる存在に変わって積み上げられているんですね。<br />
スクラップに目をやったときに、三つの見方があると思います。量として見るっていうことと、機能として見る、「そのもの」として見る。普通、バイクはバイクとして、テーブルはテーブルとして見るっていう機能がある。しかしスクラップヤードっていうのは、捨てられたものですから、基本的にはもう機能はない。だからこそ、存在そのものが見えてくるんです。<br />
　捨てられたものなんですけど、私には、「かけがえのないもの」。そういう気持ちになれる空間なんです。１対１の関係性と言うか、私自身とその対象とが向き合っている。<br />
津田　ドイツのハイデガーっていう人が『存在と時間』っていうすごい大著を書いて、「存在とは何か」と考えた画期的な本があります。その中で、「壊れたハンマー」っていうのが出てきます。それは機能してない存在。そして、先ほどおっしゃいましたように、怖い、不気味なものがある。その壊れたハンマーというのは「存在そのもの」じゃないかと。機能停止している、しかし、そこに、「存在の露呈」が行われているんじゃないかと。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café Vol.07 およその数でつかまえて 3/3</title>
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    <published>2010-09-28T23:48:25Z</published>
    <updated>2011-05-24T03:58:33Z</updated>

    <summary>Ｔ：すみません、すごい基本的なことなんですが。一番最初にπを決めた人っていうのは...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><strong>Ｔ</strong>：すみません、すごい基本的なことなんですが。一番最初にπを決めた人っていうのは、どうやって決まったんですか？<br />
<strong>村上</strong>：それは、円周と直径の比です。<br />
<strong>Ｔ</strong>：あっ、長さで、測って？<br />
<strong>村上</strong>：ええ。測ってって言うか、もともと概念的なもので、それを言い出すと「長さとは何か」ってことになりますが。直線っていうか、線分の長さってのはわかりますよね。だから、円を線分で近似して、正五角形とか正六角形、正七角形でその長さを測って、それの、辺の数を増やしたときに、それの直径に対する比の極限です。それが円周率、正確に言うと。だって、曲がってる物の長さってわかんないですよね。だから、円周率って、もともと3.14って決まったんじゃなくて、円周の長さと直径の比として決まって、それを計算しようってなって、正多角形で近似したりして計算していったわけです。正多角形を円の内側に接するように描いたのと、外側で接するように描いたのを考えると、外側のほうが大きくて、内側のほうが短いんです。その差がどんどんちっちゃくなっていけば、円周率に近づいていくかなっていう考えで計算したのが一番最初です。<br />
<strong>Ｕ</strong>：日本では、最初πじゃなくて、ぼくは小学校のとき3.14で計算、およそってことで習ったんですけど。海外で、πは確か中学だったと思いますが。<br />
<strong>村上</strong>：日本だと小学校４年、５年ぐらいに習って、一応教科書で出てるのは、円を描いて円周を測ってみようってのがあって、実際測って「直径の約3.14倍になってるね」って話をしてみるんですけどね。だから3.14から教わったわけではないんです。誤解があるようですが、そうではないです。一応、円の直径と円周は比例しますので、その比例定数として円周率っていうのが出てきます。それを円周率と言って、約３、あるいは約3.14と習いました。という形になってます。ただ、小学校の先生は、算数が嫌いな方がたいそう多いので、もう面倒くさいから「3.14と覚えなさい」「円の円周の長さは直径に3.14かければ出ます」と教わった可能性が大いにあります。ご愁傷様です。そうではありません。<br />
<strong>Ｗ</strong>：この例のように、規則的に引いたり足したり、引き算足し算だけじゃなくて規則的に加減乗除することで、πに対して何分の１かっていう、そういう関係性が求められるパターンっていうのは。<br />
<strong>村上</strong>：かなりあります。多分、数えられないと言うとまた数学的じゃないですけれど、いろいろありますよ。<br />
<strong>Ｗ</strong>：古代から？<br />
<strong>村上</strong>：古代から。そうですね、計算機がない時代に、わりと、なんて言うか、何十桁って正確な計算したって残ってますから。さっき言いましたように、正多角形の長さっていうのは、加減乗除で計算できますから。</p>

<p><big>鑑賞できる数学</big></p>

<p><strong>b</strong>：一つ前の、先生がおっしゃった分数は美しくて、小数だと美しくないと、気持ち悪いとかっていう場合なんですけど。それが共感できる人もいると思いますし、共感できない人も、まあ先ほどもいらしたんですけど。<br />
<strong>村上</strong>：はい、はい。<br />
<strong>ｂ</strong>：先生的に、どれくらいの人たちが、さっき言った、共感できるっていうか、美しいというふうに思われてるって思いますか？<br />
<strong>村上</strong>：いい質問ですね。大半の人は何も考えてないと思いますね。だから、ルート２は何かっていうのを説明するのに時間がかかっている。いつも思うんだけど、数学なんかも芸術と同じで鑑賞できる数学っていうのがあっても非常にいいと思います。ルート２もその一環だと思ったんですが、これがちょっと絵とは違うんですよ。だから、ルート２を、ああやって分数で表したのと小数で表したのを比べて、どっちがきれいかで共感してくれる人がどれくらいいるか。ほとんどいないでしょうね。大体、やっぱり、これは日本だけじゃなくて世界的な傾向だと思いますが、算数とか理系とかっていうのはどんどん嫌われていて。なぜかって言うと、やっぱり難しいから、面倒くさいから。で、その根底にあるのはやっぱり「なんでも覚えなさい」。理解する、させるのが面倒くさいから、覚えさせようってのがあると思うんですが、もうちょっとやっぱり我慢して、美しいなと思えるまで繰り返し鑑賞させれば、ちょっとムードは変わる。だから、さっきの「ルート２ひく１」をああいうふうに表したのも、根底にあるのはやっぱり、ぼくは小学校のころ、さっきも言いましたけど、分数を小数で表して循環して「おおっ」って喜んでた変わった人間なんで、そういう人からみれば「おおっ」って思いますよ。だから、そういう、なんか、面白いな、あるいはきれいだなと思うまで、簡単なところで繰り返しやらせれば、ちょっと変わっていくかもしれません。ちょっと、質問とは答えがずれちゃいましたが。そういう意味で、質問に答えようとすれば、絶望的に低い場所じゃないかと思います。それをもうちょっと上げる努力を我々数学者はするべきだと思います。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>Creative Café Vol.07 およその数でつかまえて 2/3</title>
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    <published>2010-09-28T23:45:19Z</published>
    <updated>2011-05-24T03:57:40Z</updated>

    <summary>野原：さっき、分数で表すときれいですけど小数で表すとちょっと汚い、っておっしゃっ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/DSC03211_2.JPG"><img alt="DSC03211_2.JPG" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/DSC03211_2-thumb-200x298-140.jpg" width="200" height="298" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><strong>野原</strong>：さっき、分数で表すときれいですけど小数で表すとちょっと汚い、っておっしゃったんですけど。<br />
<strong>村上</strong>：はい。循環してないから分数で書くときれいっていうのは、きれいですよね。<br />
<strong>野原</strong>：興味深いです。<br />
<strong>村上</strong>：これきれいですよね。これはきれいでしょ(笑)。<br />
これを電卓で計算するときも、「たす２は」って繰り返せばいいですよね。繰り返していられるものって、なんかきれいでしょ？　世の中にある美の基準のひとつとして、対称性っていうのがありますよね。点対称とか線対称であれば、なんとなくきれい。あるいは、繰り返し。繰り返した模様ってのは、なんとなくきれいですよね。で、これの左辺もやっぱり繰り返しの美ですよ。しかも何がいいかって、この２がだんだんちっちゃくなっていって、無限の彼方に消えていく。その「てんてんてん」に情感、無限の情感が。(笑)<br />
<strong>津田</strong>：先生、それは、何かこう、秩序があって、宇宙の美しさをお感じになるということですか？<br />
<strong>村上</strong>：そうですね。さっきの循環してるっていうのも、目に見えてる。もちろん循環している小数も、小さな桁のほうにいくとどんどんフェードアウトしていくんです。フェードアウトするんだけど、全体を見渡す立場から見ると、また同じのが繰り返されてるというのが、ちょっと怖いようでもあり。大体美って、怖さが裏にありますよ。違いますか？<br />
で、なんで0.41421356......があまりきれいじゃないかっていうと、数字の出方がいい加減、ランダムだ。実はランダムじゃないんだけど、ランダムっぽい。<br />
<strong>野原</strong>：ランダムなものには、あまり美を感じない？<br />
<strong>村上</strong>：完全にランダムなら、それはそれでいいんですけど、中途半端にランダムなんですよね。<br />
ルート２っていうのは、正方形の対角線の長さです。そのある意味ではこう無限で、ある意味ではこういう、あまりきれいじゃない形をしている。数学者は多分あれですね、こういう一見秩序がないものを、こういうふうに変えたいんですよ。で、さらに言えば、「一辺が１の正方形の対角線だ」って言った時点でもう、これでもう、究極の美しさっていう感じです。<br />
<strong>Ｎ</strong>：ロシアの人形みたいですね。<br />
村上：ああ、マトリョーシカね。あれも無限ではないですよね。ただ、あれが、ぼくなんかが見てて嫌なのは、だんだん細工が粗くなります。あれをなんとかして、内側が外側を本当に縮小したものならいくらお金出しても買いますけど。やっぱり多分これ、違いまして。だから、ルート２の連分数の場合はどこからマトリョーシカの人形を始めても、まったく同じものなんですね。そこがその無限の美しさ、無限の不思議さです。有限じゃないから。</p>

<p><big>円周率をおよその数でとらえる</big></p>

<p><strong>村上</strong>：じゃ、次行きましょう。次も同じようなので。今度は奇数の逆数を足したり引いたりしましょう。だから１から始めて、次の「３分の１」を引きます。次の奇数は５ですから、「５分の１」を足します。次、「７分の１」を引きます。「９分の１」を足します。てことを、何度も何度も繰り返していくと、どっかにいきます。これが、なかなかまとまんないです。１から201までだから、100個の奇数を足したり引いたりしたら、0.78787878335......。次、同じことを1,000回、だから、１から、「2001分の１」までを足したり引いたりすると、0.7856......。何度も何度も計算していくと、こういう数になるはずですが、これは一体なんでしょう？<br />
<strong>Ｑ</strong>：サイエンスカフェなので、わかりやすくお願いします。(笑)<br />
<strong>村上</strong>：これを４倍するとどうなるか。0.785を４倍すると3.14。見慣れた数になる。実際、これ、ずっと先まで足したり引いたりしたものを４倍すると円周率πになります。奇数を足したり引いたりすること。覚えやすいですね。「１ひく３分の１たす５分の１ひく７分の１たす９分の１......」、これを一生かかって計算すればπは出ます。だから昨今、スーパーコンピューターの速さを競うので「πを何桁計算した」とかってありますが、そんなコンピューターに頼らなくても、我々できるんです。あの、ぜひ、やってみて、人生を浪費して下さい。(笑)これ、とんでもないですよ。10万回やってもこれで、もう、下、小数点以下３桁で違ってるんだから、よっぽどのことをやんないと。たとえばいま、これでかろうじて3.14ですか。コンピューターやってる人は精度っていうのを考えると思いますが、これは精度が非常に悪いです。なかなかお薦めできないやり方ですが、それでも、小学生でもできるπの計算方法です。昔の日本人の和算なんてやってる人は、もっと利口なやり方で、かなりの桁まで円周率として計算していました。<br />
このπっていう数は、さっきのルート２に比べると格段に変な数です。さっきのルート２っていうのは、先ほどお見せしましたように、「２分の１」とか、２を足して逆数を取るっていうことできれいに書けたんですが、πにも似たような法則があります。ただ、似たような計算はあるんですけれど、ルート２に比べると循環っていう感じではないです。πを出すような方程式っていうのはありません。だから「ｘの５乗たす３ｘ２乗ひく１」の解がπだなんてことはあり得ないってことは知られてます。そういう意味では「超越数」って言われてます。あるいは、「超越無理数」。超、単なる無理じゃなくて、超無理、超越した無理という意味で、そこまで突き抜けると、それはそれで面白いです。えーと、なんだっけ、πっていうのは、ひとつの面白さっていうのは、奇数を足したり引いたりしたら、なぜか出てくるものがあります。<br />
<strong>Ｒ</strong>：スーパーコンピューターの円周率の計算もこれと同じ原理なんですか？<br />
<strong>村上</strong>：いや、多分違います。スーパーコンピューターなんかだと、まずコンピューターの性能を上げるのと同時にアルゴリズムを改良してくはずで、こんな収束の遅いことをやってるとは思いませんね。もっとややこしいことをやってるんじゃないかな。私は知りませんけど。それこそウィキペディアででも調べていただければ。あるいはどっかで企業秘密が出てくるかもしれません。<br />
πを求めたければ、こんなことやるより、こんな円い物の周りをひもでやって、測ったほうが、はるかに正確な数が出せる。(笑)別にこんなこと、こんなことして計算するんじゃなくて、ひもでやったほうが速いです。</p>]]>
        
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    <title>Creative Café Vol.07 およその数でつかまえて 1/3</title>
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    <published>2010-09-28T23:34:50Z</published>
    <updated>2011-05-24T06:20:18Z</updated>

    <summary>分数と循環する無限小数 野原：今日のテーマが、「およその数」「概数」。数学、数の...</summary>
    <author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><big>分数と循環する無限小数</big><br />
<strong>野原</strong>：今日のテーマが、「およその数」「概数」。数学、数の話だけではなくて、そこから見えてくる文化、人間の認知、考え方、思考といった部分、そのあたりを数学的だけでなく、アート的と言うんでしょうか、柔軟な視点から「およその数」というものについて考えていきたいと思っています。<br />
<strong>村上</strong>：およその数、概数っていうのは、小学校の算数で皆さんも習ったと思うんですが、先生の鬼門です。一番難しい所です。「およその数」って答えがないから。小学校の先生って、およその数なのに、なぜか正確なところを知って教えようとするんですね。<br />
　およそなんだけど数学、ちゃんとした数学なんだよって話をしましょう。たとえば、「７分の１」っていうのを計算すると、0.142857142857142857って繰り返す。どんどんどんどん。これは実際、筆算するとわかるんですが、面倒くさいから「３分の１」ぐらいにします。「１÷３」っていうのを計算すると、３が出てきて、９を引いて、また「１÷３」という同じ割り算がでてくるんですね。分数はこうやってどっかで同じパターンが出てきて、以降繰り返しが出てきます。筆算マニアならわかります。小学校のときに本当に割り算が面白いと思った人は、必ずどっかでこういう現象にめぐり会ったはずです。<br />
<strong>津田</strong>：そうしますと、分割していくと反復するということが言えるということですか？<br />
<strong>村上</strong>：はい、そのとおりです。だから、何桁になるかわからないけど、百万桁かもしれないけど、必ず繰り返します。<br />
<strong>津田</strong>：音楽でも、バロックの曲なんかも微妙にずれながら反復していきます。<br />
<strong>村上</strong>：ただ、反復って、ちょっと今から説明しますが、分数を小数に直すと反復して無限に続くんですけど、分数にすると、「なに分のなに」ってピタッと終わりますよね。反復も何もなく。<br />
　たとえば「３分の１」って言うと、１と３だけでつくられてますよね。でも、小数に直すと0.3333......って３が無限に続きますよね。無限と思うと「あーっ」って気が遠くなるけど、「３分の１」って言うともう我々のものって言うか。（笑）逆にそうやって、無限に続く小数だけれど、よく見ると循環してるっていうのがわかれば、それは必ず、整数分の整数、分数に直せます。なんでかって言うと、たとえばよくわからないそのx=0.142857142857142857......って無限に続くものがあったとします。その無限に続くものっていうのは６桁で循環してますよね。じゃあそれを、10の６乗倍、小数点を６個右にずらした数を書いてやります。そうするとでかくなるから、一、十、百、千、万、十万、142,857。142,857.142857142857......。点を６つずらしてでかくしたものから元のものを引くと、えーと「1,000,000かけるｘ、ひく１かけるｘ」。「1,000,000ひく１かけるｘイコール」右辺の小数点以下は繰り返してるから、引くと消えちゃいますよね。整数だけが残る。そうするとｘがちゃんと999,999分の142,857、整数分の整数という分数になる。これ、一見するとでかい数ですけれど、分母を分子で割ると７になったから、７分の１に戻ってます。というわけで、循環する小数は分数になるという証明が終わりました。（拍手）</p>

<p><big>数学の無限の美しさ、不思議さ</big></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/DSC03210.JPG"><img alt="DSC03210.JPG" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/10/DSC03210-thumb-320x214-134.jpg" width="320" height="214" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/></a></span><br />
<strong>村上</strong>：0.41421356......。これはなんでしょうか。誰かわかる人......はい。<br />
<strong>Ｍ</strong>：ルート２マイナス１。<br />
<strong>村上</strong>：あっ、ピンポーン。「ルート２マイナス１」です。日本の人ならわかってほしいんですが、先頭に「ひと」ってのを付けると、「ひとよひとよにひとみごろ」。これをこのように覚えましょうっていうのが、日本のよき伝統ですね。よき伝統なのか知りませんが。<br />
　もちろんいまだと、コンピューターがあればルート２を計算しろといったほうが速いし、ウィキペディアでもなんでも調べればすぐわかりますけど。これは、さっきの分数と違って繰り返しは絶対ありません。これは、高校ぐらいで習うのかな。ルート２は分数ではありません。いわゆる有理数ではない。どっかで習ったと思いますが。多分大学入試で出したら解けない人がわんさか出てくると思いますが、証明知ってますか？背理法でやるんですね。昔やった嫌な思い出がよみがえった人がいるかもしれませんが。とにかく、ルート２、無理数っていうんですけど、無理数っていうのは、小数で表すと全然循環がない。だから、なんて言うのか、汚い数のような、小数で表すと汚くなるように思われてるかもしれませんが、こういう連分数で書くと、むしろきれいです。「１わる、２たす１わる、２たす１わる、......」ってなんか、循環してますよね。（参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%AE%E5%B9%B3%E6%96%B9%E6%A0%B9）こういう連分数の極限として見ると、非常にきれいな形をしていますね。このへんの「てんてん」がわかりにくいのですが、これはまず「ルート２ひく１」をおよその数、一番最初はまず0.5で近似をして次0.4、次0.415833......って順番にやっていくと、どんどんどんどん、「ルート２ひく１」という無理数に近づいていくということを表しています。数学ではこうやって、およその数でつかまえていって、それを現実なものにしていくっていうのがよくあります。極限とかって言われてます。あれは平たく言うと、およその数でつかまえてるものを、どんどんどんどん、およその範囲を狭くして最後１個だけにしようというのが考え方の中心です。これを、もし大学１年のときの微分積分の嫌な授業を思い出した人は、あ、反応がない。嫌なことを完全に忘れちゃったな（笑）。やったはずです。やってないかな......まあいいや。</p>]]>
        
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    <title>Creative Café Vol.10 モノがたりを装う～ファッションとアーキテクチャ～ 参加者アンケートからのＱ＆Ａ</title>
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    <published>2010-07-07T09:55:50Z</published>
    <updated>2010-07-07T10:08:19Z</updated>

    <summary>後半は時間が足りず、深町氏の結論を十分に引き出せないまま終わってしまった感があり...</summary>
    <author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://creativeflow.jp/report/">
        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="IMG_0700.JPGのサムネール画像" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/07/IMG_0700-thumb-250x166-106.jpg" width="250" height="166" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>後半は時間が足りず、深町氏の結論を十分に引き出せないまま終わってしまった感がありました。あらためて深町氏から参加者に伝えたいことをまとめていただきました：</p>

<p>・ファッションと言えば人は服装やその周辺を思いつくが、それらが生み出してきた「ものごとを標準化と差別化」するダイナミクスがあり、その流れはさまざまな分野にもあてはまる。<br />
・「ファッション＝標準化と差別化という人間の心理的・基礎的欲求が生みだす社会的ダイナミズム、トレンド」と定義。<br />
・サイエンス、アートは 成熟化した社会 （機能よりも情感優先）の中で「ARS（アルス→アート）」の原点に立ち返ることで、 新たな価値創造を行うことができる。その意味で、より明確な機能を持つ「デザイン」と「アート」は異なる。 <br />
・ファッションにおいて、この流れ（標準化と差別化の繰り返しによる経済促進）は、消費者でありかつ生産者である私たちにとって必要である。</p>

<p><big>参加者アンケートによるＱと、深町氏によるＡ：</big><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/IMG_0846.JPG"><img alt="IMG_0846.JPG" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/07/IMG_0846-thumb-200x133-109.jpg" width="200" height="133" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><strong>Q1</strong>：ファッション＝標準化と差別化の社会的ダイナミクスという考え方を、各種デザイン業界に適用することの功罪についてもう一度聞きたいです。さらに深町氏自身は、そのファッション化をどのようにとらえているのでしょうか。</p>

<p><strong>A1</strong>：ファッション産業の手法の応用は約９0年前から適用されていることであり、リップマンやV.パッカードの著作の中にもさまざまな事例が出ています。そのことが一般に知られていないだけではないでしょうか。 </p>

<p>その「功罪」はそれぞれの立場により変わってきますので断定することはできません、私たちは消費者であると同時に生産者でもあるわけですから。 各種産業のファッション化（標準化と差別化による社会的ダイナミックス）は 成熟化する社会の必然的方向であったのでしょう。農業への回帰やスローライフの提案はそのようなスピードを増すファッション化社会への反動とも考えられます。（ちなみに私も人間の原点を実感すべく農業をしております。）</p>

<p><strong>Q2</strong>：私たちの服や家電製品の選択に、他者の意図がこれほど強く関わっているとは思いもしませんでした。他にも商業界から仕掛けられている具体的な話があったら聞かせてください。</p>

<p><strong>A2</strong>：ダニエル・ピンクも著作（『ハイ・コンセプト』）の中で述べていますが、 世の中にデザインされていないモノ（やサービス）がないとするならば、すべてに他者の意図が入っているといえるでしょう。ただ、受け取り方は個人個人で違いがありますので、他者の意図（デザイン・PR戦略の意図）に気づかず自分の意志であると考える人も多いでしょう。選挙においてもこのようなPR戦略が応用されていることは周知されています。</p>

<p>このような「仕掛け」についてのリテラシーは、たとえば芸術作品の鑑賞により鍛えられると考えています。作品のテクストとコンテクストの読み取り訓練です。アートの鑑賞とは作品自体の美だけでなく、作者の制作意図を読み取ることも楽しみの一つだと思います。</p>

<p><strong>Q3</strong>：一見違う立場にある３人（オイラー、デュシャン、シャネル）のつながりについて。数学・アート・服飾が根底でどの様に関与し合っているのか、わかりやすく教えてください。</p>

<p><strong>A3</strong>：数学は物理・化学・生物学等のサイエンスの基礎として捉えていただきたいとおもいます。 まず、サイエンスの革新により新技術が創造されます、これは機能としての差別化の成立です。 こののちコストダウンのための標準化が起こります。たとえばDELLコンピュータのシステム （デヴァイスの世界的分業）のような産業構造です。すると製品の機能において差はなくなります。 そこで、製品寿命を延命するために機能以外の付加価値を付与することによる差別化が必要となります。 それが、著名アーティストとのコラボやダブルネームなどに代表されるアート的要素（情感的な付加価値）です。</p>

<p>機能におけるファッション性（差別化と標準化）とアート的要素によるファッション性（差別化と標準化）。 ここに、サイエンス＆アートのファッション性による心理的・社会的・経済的・文化的ダイナミズムが成立します。 </p>

<p>オイラー、デュシャン、シャネルはそれぞれの分野で創造的な差別化を行い革新を起こしました。 その革命は分野制限的なものではなく、時間や地域を超えた分野横断的なマトリクスを 生成していると言えないでしょうか。皆さんとともに考えていきたいところです。 </p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://creativeflow.jp/report/photo/IMG_0784.JPG"><img alt="IMG_0784.JPG" src="http://creativeflow.jp/report/assets_c/2010/07/IMG_0784-thumb-420x280-112.jpg" width="420" height="280" class="mt-image-none" style="" /></a></span><strong>Q4</strong>：科学を始めとし、学問はファッション化されていくものなのか？もしそうなら、それはどの辺りまででくいとめられ、線引きがなされるべきなのでしょう？</p>

<p><strong>A4</strong>：学問にも流行（標準化と差別化）はあるのではないでしょうか？すでに一般化した、もしくは、大方の結論の出ていることを研究することは稀だと思います。<br />
独自の研究つまりここでも差別化が必要となるでしょう。 </p>

<p>たとえば環境問題のための研究はどうでしょう？ロボット研究はなぜ盛んなのか？芸術学、美学においても研究の流行はあります。それは、社会的要請に応えるかたちで成立しているので積極的に評価されるべきです。</p>

<p>その一方で、基礎研究が大切とは言われながら、自然科学においても人文においても 直接産業と結びつかない（産学コラボの成立しない）研究のための研究というのが難しくなっているように思います。そのような（経済的価値の差別化に重点を置く）意味での学問のファッション化については、社会の中で基礎研究をどのような位置づけで考えていくべきか、 私たち個人個人の考え方が深く問われているように思います。</p>

<p><strong>Q5</strong>：今回、深町氏がカフェというスタイルを通じて、参加者から意見を聞いた感想を教えてください。</p>

<p><strong>A5</strong>：もっと一人ひとりの方とじっくりとお話しできる機会があるとよいと思います。<br />
カフェ後に意見交換した際、実際に発表されたものとは違う質問をしたかったという方が多かったです。</p>

<p><strong>Q6</strong>：ファッションの将来のあり方についてどの様に考えていますか？</p>

<p><strong>A6</strong>：ファッション（狭義＝服とその周辺）に関して、後進国が先進国になる過程で発展するのが繊維産業（低賃金労働力が必要）であることを考慮すれば、その中心は世界の中でシフトしていくことが必然です。その意味で、日本はサイエンス的（技術・機能）にもアート的（情感）にもすぐれたクリエーション（差別化）が必要とされると考えます。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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